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2011年2月6日日曜日

hot ヨーグルト / 数奇な運命の画家





もうすぐ花粉症の季節

昨年の夏は猛暑に見舞われた影響で、今年は、花粉の飛散が多いと早くから予想されています。20年近く花粉症に苦しんでいる私は、本格的に苦しくなる今月下旬から4月までは、海外に逃げ出すことができればいいなと思うのですが、経済的事情を始めさまざまな事情から、そんなことは、非現実的で不可能です。抗ヒスタミンなどの病院でもらうお薬は、体調が悪くなったりしてどうも私の体質に合いません。できることなら、このアレルギー体質を改善したいものです。
 
 最近しばしば雑誌等で紹介されている”ホット ヨーグルト”を今から試してみようかなと思っています。これは、市販のプレーンヨーグルトを電子レンジで温めて作ります。料理研究家の村上祥子さんによると、これを1日3回食べると、目のかゆみや鼻水が治まり、花粉症にとても効果的だそうです。 アレルギーは1種の免疫の過剰反応ですが、ヨーグルトに含まれる乳酸菌には、免疫反応を正常に保つ働きがあるそうです。温めると、有効成分の吸収がよくなるだけでなく、腸が冷えないため、腸内の乳酸菌の活動が阻害されないそうです。”ホンマかいな”という感じですが、騙されたと思って、しばらく試してみようかなと思います。私は人の言うことに乗せられ易いので......(笑)


ホット ヨーグルトの作り方


材料 (1人分)

         プレーンヨーグルト.......100グラム

         はちみつ.......大さじ1

         水..........大さじ1



1、  耐熱の容器に、ヨーグルト、はちみつ、水を入れる。

2、  軽くかき混ぜ、ラップはせずに、電子レンジで600ワットなら1分、500ワットなら1分10秒加熱する。          

3、  取り出して、なめらかになるまで、混ぜる。......出来上がり



今日の音楽

今日もhotな曲をききましょう。







今日のglobal artist


今日は、数奇な運命を生きる中国出身の画家 Cao Yong  を取り上げます。


Cao Yong  は、1962年、中国の受難の時代に生まれました。 文化大革命の時代、彼の家族は、過去において恵まれた支配階級の家柄であったため、当時の中国当局からマークされ迫害を受けていました。他の同じ年齢の子ども達が幼稚園に通い始める頃には、幼いCao は、働き始めなければなりませんでした。物心がついた5歳の時には、建設現場で、砂利で一杯になった重いバスケットを運ばされていました。そんなある日、岩の穴が崩れ落ちるという事故に遭いました。小さな彼は、もう少しのところで、瓦礫の下敷きになり、圧死するところでしたが、幸運にも助かりました。

 そんな辛い日々の中でも、絵を描いている時は、心の安らぎと慰めを得ることができました。11歳の時に、北京出身の著名なアーティストに付いて絵を習い始めました。画材を買うために、衣服をしばしば質に入れたり、食事を抜いたりしました。彼が闘わなければならなかった対象は、こうした貧困だけではなく、毎日隣人から受ける根強い差別もありました。

 しかしCaoは、並外れた粘り強さで絵を描き続けました。16歳の時、芸術大学への関門である 高い競争率の国家統一入学試験を受けました。5つの省で、最高点を得点したのにもかかわらず、全ての大学が家柄を理由に彼の入学を拒否しました。1年後、再び試験を受け、やっと、江南大学から入学を許可されました。 一つのイデオロギーが独占的に支配している環境の中で彼は常に異端視され、仲間外れにされていました。大学生になっても、なお、彼は絶え間ない迫害に直面しなければなりませんでした。それでも優秀な成績を収め、1983年に、芸術学士の学位を取得しました。

 卒業後、チベット大学で最年少の芸術学の教授として、職を得ました。チベットでの7年間は、隔絶された高地の中で育まれた簡素な美と独自の文化の魅力にどっぷりと浸ることができました。先史時代の洞窟の壁画を調査するため、馬と犬をお供に猟銃だけを所持して、人けのない寂れた山の洞窟の中で、一人で1年近く生活していたこともありました。

 今では伝説となったチベットでの体験は、一連の優れた作品として結果を残しました。これらの作品は、1989年の初頭、北京で開かれた彼の初の個展において展示されました。その展覧会は、初めは成功したかのように思えました。アジア、ヨーロッパ、そして北米の主要な新聞社がこのことを取材し取り上げました。 しかし、この広く知れわたったアートショーは、中国当局を驚かせ警戒させました。作品7点が北京警察によって押収、焼却されると同時に、彼は逮捕されました。しかしながら、彼は何とか脱走することができました。彼の婚約者で、日本人の美術学生のGoda Aya さんと共に、逃亡者として、危険な8か月の旅に出ました。そしてついに、日本大使館の援助で、2人は、日本に逃れることができました。

 この逃走の旅については、Goda Aya さんが、著書、”逃”(=Tao=escape)において綴っています。(1995年、文芸春秋より出版)この作品は、日本で最も名誉ある文学賞の一つである講談社ノンフィクション賞を受賞しました。

 Cao は、絵の仕事を細々とやりながら、墓堀りや遺跡の発掘の仕事をして、日本での生活をスタートさせました。しかし、彼の才能は、すぐに多くの仕事の依頼を呼び込みました。わずか数年の内に巨大な壁画を制作して、日本で最高の壁画制作者として認められました。日本の全国各地の流行の先端をいく商業ビル、一流デパートなどに彼の壁画が装飾されました。 その一方で、チベットを題材にした作品も情熱的に描き続けていました。それまでの彼の主要な傑作が集められ、東京の有名な美術館やギャラリーで展示されました"Cao Yong" のアートは、日本の美術界に衝撃を与え、日本のメディアから、”われわれの時代の天才的芸術家”と褒めたたえられました。

 より困難な挑戦と大きな舞台を求めて、1994年、アメリカに移住しました。アメリカ人の自由な精神と多様でエネルギッシュなアメリカ社会に触発されて、彼の新しい経験や感情を鮮明に反映しながら、最も実りのある豊かな作品が溢れるように多く生み出されました。1999年には、彼のアートを出版する会社、"Cao Yong Editions, Inc" を設立しました。2年と少しが過ぎた頃には、アメリカで最も売れている存命中のアーティストの一人になりました。全米の200近くのギャラリーが "Cao yong" の作品の販売権を持っており、その販売網は、現在、日本、カナダ、そして、ヨーロッパの市場にも広がっています。

 世界中のCao yong の愛好家やファンは、彼の目覚ましい功績と、今もなお人々のうっとりと熱い視線が注がれるような、完璧なアートを創造し続けるこの芸術家に対して、総立ちで、拍手喝采を浴びせています。Cao Yong にとっては、自分の作品を通じて、自身の最も深い内なる感情を他の人々と共有できることが、最高の報酬なのです。

Cao Yong の作品が下のそれぞれのリンクからご覧になれます。

http://www.liveinternet.ru/users/serdoliks/post99274310/

http://www.liveinternet.ru/users/2225732/post129883065/

http://www.liveinternet.ru/users/pannat/post129387733/

http://www.liveinternet.ru/users/katrin_aelita/post146999378/

http://www.liveinternet.ru/users/yakara/post113515224/

http://www.liveinternet.ru/users/3185033/post130428988








今日の癒しの動画

画面を拡大してお楽しみ下さい。






今日のwonderful pictures

下のそれぞれのリンクから癒しの画像がご覧になれます。

http://www.liveinternet.ru/users/vera-verinka/post150296417/

http://www.liveinternet.ru/users/vera-verinka/post150295534/

http://www.liveinternet.ru/users/vera-verinka/post150296165/

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