先週、歯周病が悪化して、大変な目に遭いました。
先々週の土曜日ごろ、じわじわ、ずきずきと左側の下の歯が痛むので、かかりつけの歯科医院に駆け込みました。もともとの私の主治医の先生とは、なんか性が合わないと感じていたので、その前に電話でその旨を伝えて、院長先生に代えてもらいました。(わがままな患者?) 私は、てっきりまた虫歯が痛みの原因だと思っていたのですが、何と、歯周病が原因だということがわかりました。その歯周病で侵されている部分は、4か月ほど前に、前の先生に別の理由で抜かれて銀をかぶせられていました。今回は、そのかぶせものを外してお薬を入れてもらいました。しかし1度の通院で腫れと痛みは、治まらず、何度も通院しなければならないハメになりました。最悪なことに隣の奥歯にも飛び火してしまって、薬のキライな私が、痛み止めなしでは過ごせない日が数日間続きました。その痛み止めは1日に4回迄で、6時間の間隔が必要なのですが、4時間ぐらいは効いていますが、5時間も経つとガンガン痛み出します。律義に”6時間以上”を守っていたので、薬の作用が弱まってから次の薬を服用するまでの1時間から30分の間は、大げさに思われるかもしれませんが、文字通り、”地獄の苦しみ”を味わわなければなりませんでした。
本当にあの痛みと苦しみは、私にとって、尋常なものではありませんでした。まるで地獄で拷問にあっているような...こういう経験をして思うことは、ありきたりな言葉なのですが、”健康の有難さ”に尽きますね。健康でなければ、美味しいものも食べて楽しめないし、やりたいこともできないし、行きたいところへも行けない....,私達が普段、当たり前と考えていることすら、楽しめず、諦めなければならないということを身に染みて感じました。
何とか今は、痛みも治まりましたが、もうこんな経験はコリゴリです。しかしそれにしても...と思うのです。私の歯周病は、急にできたものではないはずです。前の主治医の先生に去年の11月頃まで診てもらっていたのに、その先生の口から歯周病の”し”の字も聞いたことがありませんでした。こんなにひどくならないように、いろいろなお薬や治療法で防ぐことができたのではないか?という思いが過るのです。治療の真っ最中に、治療とは全然関係のない私語を助手の女の子相手によくするし、一生懸命に口を大きく開けているつもりなのに、”口を大きく開けてくれないからやり難い”などと露骨に不快感を示したりで、感じの悪い変な先生だなと以前から感じていました。やはり態度の悪い先生は、治療の点でも”要注意”かもしれません。今回、気の弱い(?)私が勇気を出して、交代を希望して良かったのではないかなと思いました。
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今日のglobal artist
このコーナーでは、現在、グルーバルな活躍をしている海外のアーティストを紹介しています。 今日は、スペインで最も有名なアーティストの一人、Jose Royo を取り上げます。
Jose Royo は、1945年、スペインのヴァレンシアで生まれました。早くから、芸術的才能を現わし、9歳の時には、有名な医者であり、熱心な芸術愛好家であった父親が雇った絵画と彫刻の個人教授について、レッスンを始めました。14歳で、サン カルロス王立芸術学院に入学しました。18歳の時には、王立芸術学院の美術学部の学部長であった、Aldolf Ferrer Amblat に個人的に師事して勉強を続けていました。
その頃、Valasquez, ゴヤ、ルノアール、モネ、Sorolla などの有名な巨匠の作品を研究するために、ヨーロッパ全域のメジャーな美術館を訪れたりしていました。
絵画や彫刻の才能に頼るだけで、彼は、容易く成功を引き寄せることができたはずでしたが、それだけでは、満足しませんでした。20代の頃には、舞台装置のデザインや、グラフィック デザインの仕事にも携わりました。しかしながら、これらの道から外れたような活動は、彼の個人的な絵画への情熱を損なうことはありませんでした。
いくつかのコンクールに出展して、主要な賞を獲得しました。1968年には、ロンドン、マドリード、バルセロナで、展覧会を始めました。それが好評となり、スペイン王室から、国王と王妃の肖像画の依頼を受けた程でした。
25歳の頃、彼自身の出生地を描きたいという感情に駆られ、地中海の光と色彩の強烈な鮮やかさを伝えてくれました。これは、彼の新たな興味と、作品のスタイルの変化を意味しました。Royo の円熟したスタイルに至る進歩の軌跡を1989年から遡って見ることができます。彼の印象的な色使いや、彩色方法は、題材をそのユニークな才能によって、そのまま生け捕りにしています。Royo の作品は、イメージ(像)だけでなく、印象や雰囲気といった気分のようなものも伝えることができるのです。そうした意味では、現代の美術界において、稀な存在なのです。
Jose Royo の作品が、下のそれぞれのリンクからご覧になることができます。
http://www.liveinternet.ru/journalshowcomments.php?jpostid=89262570&journalid=2332998&go=next&categ=0
http://www.liveinternet.ru/users/3736637/post146666570/
http://www.liveinternet.ru/journalshowcomments.php?jpostid=145907939&journalid=3059356&go=prev&categ=1
http://www.paintinghere.com/artist/Jose_Royo-1.html
http://www.collectionprivee.com/royo/royo_index.html
このコーナーでは、現在、グルーバルな活躍をしている海外のアーティストを紹介しています。 今日は、スペインで最も有名なアーティストの一人、Jose Royo を取り上げます。
Jose Royo は、1945年、スペインのヴァレンシアで生まれました。早くから、芸術的才能を現わし、9歳の時には、有名な医者であり、熱心な芸術愛好家であった父親が雇った絵画と彫刻の個人教授について、レッスンを始めました。14歳で、サン カルロス王立芸術学院に入学しました。18歳の時には、王立芸術学院の美術学部の学部長であった、Aldolf Ferrer Amblat に個人的に師事して勉強を続けていました。
その頃、Valasquez, ゴヤ、ルノアール、モネ、Sorolla などの有名な巨匠の作品を研究するために、ヨーロッパ全域のメジャーな美術館を訪れたりしていました。
絵画や彫刻の才能に頼るだけで、彼は、容易く成功を引き寄せることができたはずでしたが、それだけでは、満足しませんでした。20代の頃には、舞台装置のデザインや、グラフィック デザインの仕事にも携わりました。しかしながら、これらの道から外れたような活動は、彼の個人的な絵画への情熱を損なうことはありませんでした。
いくつかのコンクールに出展して、主要な賞を獲得しました。1968年には、ロンドン、マドリード、バルセロナで、展覧会を始めました。それが好評となり、スペイン王室から、国王と王妃の肖像画の依頼を受けた程でした。
25歳の頃、彼自身の出生地を描きたいという感情に駆られ、地中海の光と色彩の強烈な鮮やかさを伝えてくれました。これは、彼の新たな興味と、作品のスタイルの変化を意味しました。Royo の円熟したスタイルに至る進歩の軌跡を1989年から遡って見ることができます。彼の印象的な色使いや、彩色方法は、題材をそのユニークな才能によって、そのまま生け捕りにしています。Royo の作品は、イメージ(像)だけでなく、印象や雰囲気といった気分のようなものも伝えることができるのです。そうした意味では、現代の美術界において、稀な存在なのです。
Jose Royo の作品が、下のそれぞれのリンクからご覧になることができます。
http://www.liveinternet.ru/journalshowcomments.php?jpostid=89262570&journalid=2332998&go=next&categ=0
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