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2013年3月1日金曜日

私に行かんといてと言ったのに、逝ってしまった母

母がこの世界から去って、4週間になろうとしていますが、直後よりも今ごろになって日増しに寂しさというか喪失感に苛まれています。21年前祖母が他界した時もそのような時期がありましたが、今回の母の場合、その比ではありません。 3年間、往復4時間の道のりを週2回遠距離介護に通い、母の在命中は、”いつまでこんな状況が続くのか”と、イラだち、ついには、、弱り果てた母にまで、面と向かって、不満をこぼしてしまった親不孝な私、こんなに早く母と別れなければならないと知っていたら、もっと母とすごす時間を大切にして動画や写真など記録や思い出作りに励んだのにと、悔やまれます。 母を失った今頃になって、母と過ごした全ての時間が貴重で懐かしい思い出となり、母が生きていた頃に戻って、もう一度会ってみたいというかなわぬ望みに悩まされています。

病気のため母が亡くなる前の2週間は、全く顔を会わせておらず、息を引き取る30分前に初めて知らせを受けましたが、間に合わず最期も看取ることができなかったことが、とても心残りです。

亡くなる1ヶ月程前の今年のお正月明けのある日に見舞った時のことを思い出すと、胸を締め付けられる想いがします。 私が、少しでも母のベッドから離れようとすると、その度に、私の名前を呼び、”行かんといて!”と叫びました。(その頃は、体力的にかなり弱っていて、普通は、声も出にくかったのですが。)それまでそんなことは一度もなかったので驚き、後ろ髪を引かれる想いで部屋を出たのを思い出します。今、思うと、一人ぼっちの孤独の中で、迫り来る死の影に怯えていたのでしょうか.......結局は、その1ヶ月足らずのうちに、自らあっけなく逝ってしまったのですが.......

最後に見舞ったのは、1月18日。この日、母の病室に行き、眠っていた母の耳元で、”お母ちゃん、来たで!”と、声をかけると、すぐ、目を開き、ほんの3日前に顔を合わせたところなのに、”長いこと来なかったな."と、とぼけたことを言って迎えてくれました。この頃は自発的にいろいろな話をする体力もなかったのですが,” 葬式するんか?”と、急に突飛なことを言ったりしました。その時は全く思いもよりませんでしたが、死期が迫り、魂がこの世とあの世(3次元と4次元、5次元?)を行ったり来たりしていたのかもしれません。あの時点で母は、体は私と同じ時間と空間を共有していましたが、魂は、2週間後の未来の世界にあり、そこから私に話かけていたのかもしれないと思ったりします。約2週間後に、兄から緊急の知らせを受け、駆けつけた時には、2週間ぶりに対面した母は、既に冷たくなっていました。この2週間ぶりの無言の対面を思うと、底のない深い悲しみに沈みそうですが、2週間早く、最期の時を迎えた母の魂と会っていたと考えると、気持ちが慰められます。

それでもやはり時間を戻せるなら、亡くなる2週間前にもどり、毎日母を見舞って、ずっと母に寄り添い、そして、その時には、私が子どものように、”お母ちゃん、行かんといて!”と、叫んで最期を看取りたかった。


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