最近、面白い本に出会った。 佐藤愛子という大ベテラン作家の ”私の遺言”という作品。著者が70年代の半ばに手に入れた北海道の夏の別荘でポルターガイストやラップ現象のような怪奇現象(著者は心霊現象と捉えている。)に悩まされ、これがきっかけで霊媒体質になり東京の自宅や旅先のホテルでも摩訶不思議な攻撃が執拗に続いた。激しい頭痛や膝の痛みといった肉体的な苦痛にまで発展するなど深刻な状況となった。得体の知れない見えない敵に対して、巷の評判の多くの霊能者の協力を得てお祓いを試みるもなかなか治まらない悪戦苦闘ぶりを描いた著者自身の実体験に基づくノンフィクション(らしい。) 心霊やスピリチュアルといった言葉を聞いただけで ”あほらしい”と言い放つ唯脳論者の人からは、”この作者の頭はおかしい”などと一笑に付してひと蹴りされるだけだろう。
私は普段、小説などはあまり読まないのでこの作品がこの作家との初めてのご縁であるが、佐藤愛子氏は、直木賞、女流文学賞、菊池寛賞などの受賞歴があり、女流文学者会の会長などを務めた文壇の大御所である。こういう立場にある人が心霊などという超常現象を自分の実体験の如く、作品として世に出すことは、それ相当の覚悟と勇気を要したに違いないだろう。この作品の中に記された怪奇現象が本当に実体験だとしたら、”事実は小説よりも奇なり” である。夜通し発生する激しいラップ音、電灯やテレビが勝手についたり、他人が介在していることが考えられない時にガスコンロの上に取り付けられた換気扇が外され床の上に置かれていたり、倉庫に置かれていた何本かのボトルが勝手にテーブルの上に並んでいたり、電話や車のキーがソファの中にかくされていたりといった怪奇を通り越した奇想天外な不気味な現象のオンパレードは、下手なオカルト映画やホラー映画よりも迫力があり恐怖心を煽られる。
多数の有名な霊能者に相談してお祓いや除霊を試みるが、その度に、それを嘲笑うかのように、かえって、得体の知れないストーカーからの攻撃はエスカレートし、著者は、約20年近くも執念深い怪奇現象に苦しめられたそうだ。 こうした心霊現象(?)の質の悪さは、周囲の理解をなかなか得られないことである。周囲の者に相談しても、こうしたことに興味のある人や霊能者以外からはまともに相手にされない。実際、毎日昼夜を問わず執拗な怪奇現象に悩まされていても、同じ場所に他人がいる時はなにも起こらない。 その現象はさなざまな怨霊(?)が絡んでいて複雑なのだが、そのひとつにアイヌの地縛霊と著者の祖先および著者の前世との絡みがあると捉え、佐藤愛子氏は、和人に迫害されたアイヌ民族の怨念の歴史に思いを馳せ始めた。また、このことがきっかけで、宇宙には、この物質世界の他に4次元、5次元といった(いわゆる霊界など)精神世界が存在することを認識し始める。この精神世界は、意識の波動の高低によって細かい階層に分かれているらしい、ということを学び、波動の低い悪質な低級霊を寄せ付けないためには、日頃から精神修養に努め、意識の波動を高めていかなければならないという結論に達したようだ。
次から次へと高名な霊能者を訪ね、様々なお祓いを試し続けて問題の解決を謀ろうとする 著者の行動と、苦しみや困難から逃れ、お金と物と形式で厄介な問題を片付けようとする現代の多くの日本人の姿勢とをかぶせて自虐的に皮肉り、物質世界の価値観にどっぷりつかりこころの波動を低下させている私達への警告をこめたメッセージのように感じる。
この作品の世界をどう受け取るかは人それぞれだろう。スピリチュアルな世界は私も興味を惹かれるが、この作品で著者が最も訴えたい大事なことは、私も目を逸らし疎んじがちだったものなので、 自分の死後の世界の有様を想うと、自分のこころのあり様が少し不安になってしまう。
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