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2011年3月27日日曜日

1日も早く安心できる日々を....


あの恐ろしい地震が発生してから半月が経過しましたが、被災者の皆様、そして原発の避難者の皆様にとっては、本当に長く辛い毎日をお過ごしのことでしょう。特に高齢の方、体のご不自由な方、持病があり病弱な方、乳幼児とそのお母さん方の身が案じられます。更にやむを得ず避難ができずにいる上記のような方は本当に気の毒です。

また、海外では、今回の原発事故をとても危険視していて、関西に拠点をうつす外資系企業や、母国からの帰国命令や勧告に従い、日本から去っていく外国人も多いとか。イギリスなどでは、日本へ行かないようにさかんに呼びかけているので、”外タレアーティスト”の日本でのライブは激減するものと予想されます。 日本の政府もメディアも専門家もさかんに、”安全”を呼びかけていますが、”皇室”に関する報道では、外国のメディアの方が、日本のメディアが絶対に書けない"事実"(?)を書いてるという話もあります。”外国のメディアがヒステリックに騒ぎすぎ”という声もありますが、疑心暗鬼になるのも無理もないことだと思います。特に関東、東北の方は、かなりの不安とストレスをお抱えのことでしょう。本当にお気の毒に思います。西日本も絶対安全という保証はどこにもありませんが... 


1日も早く、被災者、避難者の方が、安心してもとの生活に戻れることを無力ながら願ってやみません。


今日の音楽





今日の癒しの音楽

大震災により理不尽にも命を落とされた方の魂に祈りをこめて捧げます。







今日のglobal artist

このコーナーでは、現在、世界的に活躍している海外のアーティストを紹介しています。 今日は、洗練された美しい作品で知られるイタリアの女流画家、Lucia Sarto をご紹介します。


Lucia Sarto は、80年代初頭、世界の美術シーンに彗星のごとくその恵まれた才能を持って、登場しました。

1950年に、イタリアのウーディネで生まれました。わずか11歳にして、トリエステの1961年度中学生絵画コンテストで優勝しました。ヴェニスで、絵画の勉強を始め、有名な画家V. Guidi に師事するという幸運な機会に恵まれ、肖像画において、彼女の技術に磨きをかけました。

後にイタリアの芸術と文化の中心地、トリノに移り絵画の修行を続けました。そこで、De Nittis, Palizzi, Giganti といったイタリア南部のロマンテックな作風の画家達の作品から影響を受けました。しかしながら何と言っても彼女は、有名なアーティストV.Guidi の庇護の下で、独自のスタイルを発展させたことは、疑う余地がありません。

の絵画の中では、おおらかな自然のイメージが、新鮮な風味で瑞々しく表現されています。彼女の微妙で繊細な描写テクニックは、グリーンとブルーの淡い影によって特徴づけられています。詩的かつ、ヴェネチアの古典の巨匠のような落ち着いた色彩を見事に吸収しているような作風...彼女の色彩の選択と明るく淡いタッチの筆使いがそれを裏付けています。

1979年に年間女流画家大賞を獲得し、彼女の名が広く知れ渡るきっかけとなりました。 それ以降、多くの栄誉に輝き、太陽の光に溢れた繊細な風景画は、世界的な絶賛を浴び続けています。

今までにイタリア国内外で100以上の展覧会に参加し、約50の個展を開催しました。また、ヨーロッパのいたるところで、彼女の作品が展示されているのを見ることができます。


更に、ニューヨークや東京、名古屋といった都市の公共美術施設や、企業にまで作品が所蔵されており、鑑賞することができます。フォッジャの公立美術館では、Sartoの作品が長年にわたり展示されています。


Lucia Sartoの作品が下のリンクからご覧になることができます。

http://www.liveinternet.ru/users/2883708/post99893759/


http://www.liveinternet.ru/users/vera-verinka/post119485462/


http://www.liveinternet.ru/users/nat-talla/post133294975



http://www.liveinternet.ru/users/3384138/post133043763/


http://www.liveinternet.ru/users/russlana/post133271085/


http://www.liveinternet.ru/journalshowcomments.php?jpostid=148043560&journalid=3465041&go=prev&categ=0


公式サイト  http://www.luciasarto.it/





今日の癒しの動画






2011年3月19日土曜日

突然の無慈悲な大地震が...

先週、東日本を突然、襲ったあの巨大地震......被災地から離れたところに住んでいて、自分や家族はもちろん親類の誰ひとりとしてその被害を受けなかった私が下手な同情をよせるコメントをしても実感の伴わない偽善的なものになってしまうでしょう。こんなことをいうと不謹慎なようですが、あの恐ろしいニュースを知った時、"自分の住んでいるところじゃなくて良かった”というのが、最初の正直な気持ちでした。毎日テレビで日ごろの想像を遥かに超えた惨状を目にして、小銭を寄付すること以外に何の助けもできない無力な自分...更にともすれば、大津波で街が壊滅していく様子を映画でも見るように、娯楽的に鑑賞している無神経な自分...情けないです。




16年前に関西を直撃した、阪神、淡路大震災の時のことを思い出しました。大きな被害はありませんでしたが、現在の家に引っ越して来て3か月足らずの時でした。夜明けの激しい揺れに飛び起こされて、揺れている間の一瞬、”家が潰れて自分の命も、もはやこれまでか”と感じたりしました。その日は、電話が不通になっていて、両親の住む実家のことが気がかりでした。夕方になり母からの電話が繋がり、”あんたのことが一番心配やった”という声を聞いてホッとしたことなどが昨日のことのように思い出されました。 今日、テレビで、若い女性が、いろいろな避難所を廻り、必死でお母さんを探されているのを見ました。涙ながらに”とにかくどこかで生きていてほしい。どんな形でもいいから無事であることを知らせてほしい...私が彼女の立場なら同じことをして、同じことを言ったでしょう。一緒に泣いてしまいました。





連日のテレビなどの報道を見ていて自分なりに感じることがいくつかありました。ろくな暖房設備、衛生設備もなく、限られた食料の供給で不自由で落ち着かない避難生活を強いられている被災者の多くの方が、”生きていただけでも幸せです。”とコメントされていていました。自分の普段の当たり前の生活がいかに贅沢なものであるかと改めて考えざるを得ませんでした。東京都知事の石原新太郎さんが最近、例によって、上から目線の発言”我欲に走りすぎた日本人に対する天罰云々..."で、又、物議を醸しました。石原さんの言うように、天罰が、日本の一部の地域に集中して、何の罪もない人々に与えられたとしたら、この世界は、あまりに不条理すぎます。 ただ、自分も含めて、お金と物にがんじがらめに縛られ、欲望の奴隷になってあくせくしている多くの現代の日本人が、愛する人を失った被災者の悲しみや、不自由な生活を強いられている被災者のご苦労をテレビを通して目にして、”私達にとって本当に大事なもの、必要なものは何かということをふと考えたのではないでしょうか。 




東京電力福島第1原発の事故による放射性物質の大量放出の恐れも心配されています。特に原発周辺にお住まいの方や関東地方にお住まいの方は、大変なストレスになっていると察します。このことに関して何の専門知識もないどころか、理系音痴の私にとっては、避けたい話題です。ほんのつい最近wikiで調べてわかったことですが、日本は諸外国に比べて、原発の数が異常に多いということです。フランスに次いで世界の中で2番目に多いようです。狭い面積の国土、しかも地震・災害大国で、こんなにあって大丈夫なの?と子どものような素朴な疑問が浮かびました。これは、自分自身についてもいえることですが、自分の身の安全と命に関わるような重要な社会的な問題に対しても、”その筋のお偉い賢い人に任せておけば、大丈夫”という他力本願的なムードが日本の一般庶民の中に伝統的に蔓延しているような気がします。”原発問題”に関しても、その安全性と必要性などについて、大きな国民的議論になったことがあるでしょうか?一大事が起こってから大騒ぎになる問題が多い様な気がします。このことに関しては、日本の独特の社会事情や教育事情が絡んでいて、個々人の力では動かし難いものが背景にあります。 封建時代が長く続いた上に、明治時代以来の軍隊的な教師中心の受け身教育が現在まで続き、ひとり、ひとりの意見を尊重するという姿勢が日本のエリートや組織のトップに希薄であることから、”言っても無駄なだけ”という私たちの潜在意識に刻み込まれた全体的な諦めモードがその一因だと思うのですが...





それにしても自然の力は、ひとつ間違うと何と恐ろしく無慈悲なものでしょう。テレビを見ていても辛いです。これ以上の不幸がおこりませんように、そして、一日も早く震災で悲しい経験やご苦労をされている方々のこころの傷が癒え、再び平穏な毎日が訪れますように...




2011年3月9日水曜日

痛い目(歯)に遭いました。/ artist Jose Royo



先週、歯周病が悪化して、大変な目に遭いました。


先々週の土曜日ごろ、じわじわ、ずきずきと左側の下の歯が痛むので、かかりつけの歯科医院に駆け込みました。もともとの私の主治医の先生とは、なんか性が合わないと感じていたので、その前に電話でその旨を伝えて、院長先生に代えてもらいました。(わがままな患者?) 私は、てっきりまた虫歯が痛みの原因だと思っていたのですが、何と、歯周病が原因だということがわかりました。その歯周病で侵されている部分は、4か月ほど前に、前の先生に別の理由で抜かれて銀をかぶせられていました。今回は、そのかぶせものを外してお薬を入れてもらいました。しかし1度の通院で腫れと痛みは、治まらず、何度も通院しなければならないハメになりました。最悪なことに隣の奥歯にも飛び火してしまって、薬のキライな私が、痛み止めなしでは過ごせない日が数日間続きました。その痛み止めは1日に4回迄で、6時間の間隔が必要なのですが、4時間ぐらいは効いていますが、5時間も経つとガンガン痛み出します。律義に”6時間以上”を守っていたので、薬の作用が弱まってから次の薬を服用するまでの1時間から30分の間は、大げさに思われるかもしれませんが、文字通り、”地獄の苦しみ”を味わわなければなりませんでした。

本当にあの痛みと苦しみは、私にとって、尋常なものではありませんでした。まるで地獄で拷問にあっているような...こういう経験をして思うことは、ありきたりな言葉なのですが、”健康の有難さ”に尽きますね。健康でなければ、美味しいものも食べて楽しめないし、やりたいこともできないし、行きたいところへも行けない....,私達が普段、当たり前と考えていることすら、楽しめず、諦めなければならないということを身に染みて感じました。

何とか今は、痛みも治まりましたが、もうこんな経験はコリゴリです。しかしそれにしても...と思うのです。私の歯周病は、急にできたものではないはずです。前の主治医の先生に去年の11月頃まで診てもらっていたのに、その先生の口から歯周病の”し”の字も聞いたことがありませんでした。こんなにひどくならないように、いろいろなお薬や治療法で防ぐことができたのではないか?という思いが過るのです。治療の真っ最中に、治療とは全然関係のない私語を助手の女の子相手によくするし、一生懸命に口を大きく開けているつもりなのに、”口を大きく開けてくれないからやり難い”などと露骨に不快感を示したりで、感じの悪い変な先生だなと以前から感じていました。やはり態度の悪い先生は、治療の点でも”要注意”かもしれません。今回、気の弱い(?)私が勇気を出して、交代を希望して良かったのではないかなと思いました。


今日の音楽







今日のglobal artist


このコーナーでは、現在、グルーバルな活躍をしている海外のアーティストを紹介しています。 今日は、スペインで最も有名なアーティストの一人、Jose Royo を取り上げます。


Jose Royo は、1945年、スペインのヴァレンシアで生まれました。早くから、芸術的才能を現わし、9歳の時には、有名な医者であり、熱心な芸術愛好家であった父親が雇った絵画と彫刻の個人教授について、レッスンを始めました。14歳で、サン カルロス王立芸術学院に入学しました。18歳の時には、王立芸術学院の美術学部の学部長であった、Aldolf Ferrer Amblat に個人的に師事して勉強を続けていました。

その頃、Valasquez, ゴヤ、ルノアール、モネ、Sorolla などの有名な巨匠の作品を研究するために、ヨーロッパ全域のメジャーな美術館を訪れたりしていました。

絵画や彫刻の才能に頼るだけで、彼は、容易く成功を引き寄せることができたはずでしたが、それだけでは、満足しませんでした。20代の頃には、舞台装置のデザインや、グラフィック デザインの仕事にも携わりました。しかしながら、これらの道から外れたような活動は、彼の個人的な絵画への情熱を損なうことはありませんでした。

いくつかのコンクールに出展して、主要な賞を獲得しました。1968年には、ロンドン、マドリード、バルセロナで、展覧会を始めました。それが好評となり、スペイン王室から、国王と王妃の肖像画の依頼を受けた程でした。

25歳の頃、彼自身の出生地を描きたいという感情に駆られ、地中海の光と色彩の強烈な鮮やかさを伝えてくれました。これは、彼の新たな興味と、作品のスタイルの変化を意味しました。Royo の円熟したスタイルに至る進歩の軌跡を1989年から遡って見ることができます。彼の印象的な色使いや、彩色方法は、題材をそのユニークな才能によって、そのまま生け捕りにしています。Royo の作品は、イメージ(像)だけでなく、印象や雰囲気といった気分のようなものも伝えることができるのです。そうした意味では、現代の美術界において、稀な存在なのです。


Jose Royo の作品が、下のそれぞれのリンクからご覧になることができます。

http://www.liveinternet.ru/journalshowcomments.php?jpostid=89262570&journalid=2332998&go=next&categ=0


http://www.liveinternet.ru/users/3736637/post146666570/


http://www.liveinternet.ru/journalshowcomments.php?jpostid=145907939&journalid=3059356&go=prev&categ=1


http://www.paintinghere.com/artist/Jose_Royo-1.html


http://www.collectionprivee.com/royo/royo_index.html





今日の癒しの動画と音楽

画面を拡大してお楽しみ下さい。






今日のwonderful pictures


下のそれぞれのリンクをクリックして頂くと綺麗な画像をご覧になることができます。

http://www.liveinternet.ru/users/vera-verinka/post155421530/

2011年2月21日月曜日

”くじけないで” 白寿の詩人デビュー 柴田とよさん/ ファンタジーの世界を描く画家



最近、行きつけのスーパーにある書店で、話題の本として山積みにされて置かれていた、ある素敵な本に出会いました。それを手に取ると、帯には、”100万部突破!!白寿の処女詩集”と、プリントされていました。タイトルは、”くじけないで”...今年めでたく100歳の誕生日を迎える柴田とよさんが昨年出版した初の詩集で、99歳にして、見事に”詩人デビュー”を果たし話題になりました。

柴田さんは、19年前に夫と死別して以来、1人暮らしを続け、日本舞踊が心の支えでしたが、腰を痛めてからは、その楽しみも奪われました。ひどく落ち込んでいた矢先、息子さんから”詩作なら体が不自由でも、紙と鉛筆さえあればできる。”と勧められ、92歳で、初めて筆を執ったそうです。最初に書き上げた作品を産経新聞の”朝の詩”に投稿されたところ、見事に入選されました。作品の入選、新聞掲載を重ねるうちに好評を博し、昨年3月にこの”くじけないで”を出版し、デビューする運びとなったそうです。このことは、大きな話題を呼び、出版からわずか半年を経た時点で、全国の読者から、1万通を超えるお便りが柴田さんのもとに寄せられているそうです。

彼女の詩は、ベッドで横になっている時や、テレビを見ている時に生まれるそうです。心の中にふわりと舞い降りたテーマやイメージをメモしておき、毎週土曜日にやって来る息子さんに見せ、朗読しながら何度も何度も書き直して完成させるとか。

もともと自分自身を”くじけないで!”と、励ます気持で書いた言葉による詩が、こんなにたくさんの人々に共感してもらえるとは、柴田さん自身夢にも思っていなかったようです。うつや引きこもりや自殺願望などの深刻な悩みを抱えた読者にも、生きる勇気と元気を与えました。またある方から、”ふだん活字をほとんど読まなくなってしまった認知症の母が、この本を手にした瞬間に目をぱっちりさせました。”と、いうお便りも頂いたそうです。

こう書くと、そんな高齢になって、詩集を出版して、しかもそれが大好評を博して、なんて、幸せなおばあちゃんだろう...と思ったりもしますが、毎朝、起きるのが、本当に辛く、お世話になっているヘルパーさんや週末に来てくれる息子さん夫婦が帰られた後は、いつも孤独と不安に苛まれ、しんどさと孤独との闘いの毎日のようです。けれども、読者の感謝の手紙が、柴田さんの生きる糧になっています。

若いころからいろいろな御苦労を経験され、特に20年近く前にご主人を亡くされてから、孤独と加齢との闘いに耐えきれず、生きる気力を無くし、何度も”死にたい”と自暴自棄になったことも...

最近、日常生活の中で使われている日本語は、難解な漢語、カタカナ語、横文字などがミックスされて、複雑化が進んでいますが、柴田さんのシンプルだけれど丁寧に綴られている言葉にとても新鮮な衝撃を受けました。”もっと自分に素直になって、自分をみつめなさい...と、諭され、教えられているようで、何か気持がほんわかとして、私も癒されています。

柴田さんの夢は、自分の詩集が翻訳されて、世界じゅうの人たちに読んでもらうことだとか。昨年10月にハングルに訳され、韓国での出版が実現して、現地でも話題になったそうです。すでに、夢は、実現に向かっています。彼女は、語ります。”人生、いつだってこれから。どんなときでも、人はだれでも平等に夢を追うことができる..."と。この世界に生きる意味をみい出せないとか、自分の人生に絶望して苦しんでいる若い人がいたら、この本のことを知って、1度、読んでもらいたいなと、思いました。



「くじけないで」   著者 柴田トヨ  発行所 飛鳥新社 

今日の音楽






今日のglobal artist



このコーナーでは、現在、世界的に活躍しているアーティスト(画家)をご紹介します。


今日は、ファンタジーの世界を色彩豊かに表現している Mary Baxter St. Clair をご紹介します。


Marry Baxter St. Clair 、現在、世界で最も愛されているアーティストの一人です。主に、愛らしい妖精の絵を描いています。彼女は、ミシガン州のSt.Clair Shoresという町で、生まれました。”アーティストとして、10歳の頃から絵を描き続けている”というから驚きです。

売れっ子アーティストとして、多くの作品が、受賞の栄誉に輝き、それらの作品が、全米、カナダ、日本、ヨーロッパの各地で、美術品として、壁に飾られています。

”彼女は、絵筆1つで、この世界にやって来た。”と言う人もいれば、”彼女は、妖精のダストで、絵を描いている”と言う人々もいます。さらに、ある人々から、”彼女は、輝いた妖精の瞳を持っている”とさえ言われているのです。いずれにせよ、これらの全ての人々は、彼女のセンス オブ ワンダーに心を動かされ、つぶらな瞳の子ども達、霊的な天使、人目に触れない妖精、そして魅力的ないたずら小妖精などを豊かで煌びやかな色彩で包み込む彼女の緻密で、美しいアートに魅了されています。

”妖精や天使は、私の人生の一部であり、幼いころから、それらは、私にとって、とても現実的なものなのです。”と、語っています。 鑑賞者が、カンバス上の天使が、現実に存在するかのように信じ込ませる程、リアルに描き、素敵なアートを創造していますが、それは、彼らの魔法を借りているからだと本人は、説明しています。 ”ファンタジーの世界は、必要な物であり、この全ての現実的で厳しい世界の中で、私たちが心のバランスを維持する一助になる”と、彼女は、信じています。

現在カウアイ島に住み、アートの仕事の傍ら、幻想的な海の世界を探検したり、出合ったクジラに声援を送るなどして、ファンタステックな日々を過ごしているそうです。



Mary Baxter St. Clair のファンタジーの世界を下記のそれぞれのリンクから鑑賞して頂くことができます。


http://www.liveinternet.ru/users/3214081/post152960092/


http://www.liveinternet.ru/users/medissa71/post149116762/


http://www.liveinternet.ru/users/foglia/post148625065/


http://www.liveinternet.ru/users/juliana-juliana/post131041077/


(下のサイトには、他のアーティストの作品が数点含まれています。)

http://www.liveinternet.ru/users/liudmila_karpiak/post150137698/


公式サイト http://www.enchantedislandstudio.com/index.html




今日の癒しの動画


画面を拡大してお楽しみ下さい。





今日のwonderful pictures

下記のそれぞれのリンクから癒しの画像をご覧になることができます。

http://www.liveinternet.ru/users/vera-verinka/post151976645/

http://www.liveinternet.ru/users/vera-verinka/post150828326/

http://www.liveinternet.ru/users/vera-verinka/post141941201/







































































































2011年2月20日日曜日

恐ろしい体験をしました。

お詫びとぼやき



先週の土曜日の深夜のことです。 最新(前回)のものを公開して、画像などに不具合がないかチェックしていたら、今までに1度も目にしたことのない恐ろしい警告の赤の画面が飛び込んできました。

アップロードした画像の一つを拡大するためマウスをクリックした瞬間、まず、”危険”という文字が目に飛び込んできました。そして、”あなたが、向かっているサイトには、悪意が潜んでいる可能性があります。”と続いていたように思います。(情けないことに、あまりの驚きでよくおぼえていない)


更に、もっと恐ろしい内容が記された文章が連なっていました。    ”あなたのコンピューターから、金融情報などを盗みだそうとしている悪意のあるサイトの可能性があります。そのような報告がなされています。”といった内容のことが書かれていました。私は、恐怖で体が震えあがると同時に、頭の中が、?のマークでいっぱいになりました。自分が、たった今アップロードしたばかりの画像を拡大しようとしただけで、どうして、こんな恐ろしい目にあわなきゃいけないのか全く不条理な思いでした。アップロードした12の画像のうち、ある2つの画像を拡大する度にその恐ろしい画面が表示されました。即、その2つの画像を削除すると、問題は、起こらなくなりました。夫が言うには、”単なるマイクロソフトのシステム上のエラーやろな”ということですが、もしやウィルス攻撃では.....と被害妄想に陥りそうになりました。



 万が一、たまたまその時間帯に訪問して下さったお客様がいて、その方がもしや、あの恐ろしい警告の画像を目にされて、当ブログに恐怖心と猜疑心を抱かれ2度と訪問なさらなくならないか、とても心配です。 とんでもない不愉快な思いをさせてしまって、本当に申し訳ありませんでした。

当ブログが本当に、少しでも悪質な類のサイトなら、広告を全部外されるだけの処罰では済まないでしょう。(この広告に関してですが、 内容は自分で選べません。ついでに、言わせてもらうなら、まだ1円も受け取ったことがありません)

 訪れて頂いたお客様に、安心して楽しんでいただけるよう、今後も点検を怠りませんので、これからもよろしくお願いいたします。



2011年2月10日木曜日

happy valentine's day! / 韓流アーティスト、Sung Sum Park

月曜日は、バレンタインデーということで、中高生などの若い人達の中には、ワクワクドキドキしている人も多いのかな.....最近は、日本独特の義理チョコが(女性にとっては、プレッシャーがかかる変な習慣)下火で、若い人を中心に、”友チョコ”と言って、女子同士でチョコレートを交換し合ったり、”逆チョコ”とか言って、男子から女子にチョコレートを渡すことも流行りだしているとか.....

この習慣の本家の欧米では、圧倒的に、男性から女性にプレセントを渡すのが多いそうです。奥さんや、恋人に花束を渡して、美味しいディナーをごちそうするのが、普通のvalentine's dayの光景だということです。日本もやがてそうなるかもしれません。そうなってほしいですね.....私の若い頃に比べて、今は、女の子が少しづつ強くなり、生きやすい時代になっていると思います。


下のそれぞれの絵は、欧米のサイト下でダウンロードしたクラッシクなイラストのvalentine's dayのカードのデザインです。


















今日の音楽

今日のキーワードはsweetです。









今日のglobal artist


このコーナーでは、現在、グローバルな活躍をしているアーティストをご紹介します。
今日は、韓国美術界が生んだスパースター、Sung Sam Park を取り上げます。


Sung Sam Park は、1949年に韓国のソウルで生まれ、12歳で、絵を描き始めました。彼の絵の才能と指導能力は、13歳にして早くも知られるようになりました。中学生にして、地元の高校で絵を教えていた程でした。

早い時期から、有名なアーティストや、国のトップたちから注目を集め、Byun Si Jin という、ある大学の当時の学長が、彼の個人的な絵の教師であり相談相手でした。 当時の大統領、Yoon boo Sun 氏から直々に、何度もMok Woo アートソサエティの全国コンクール優勝者として、表彰されました。Parkは、コンクールの参加者の中で、いつも最年少であったのですが。

1973年、Jung Ang 大学(中央大学校)を卒業後、フランスに旅に出ました。パリで、ほかの若いアーティストと一緒に暮らして、絵の勉強に励みました。彼の今日の作風は、明らかにフランスの印象派の画家達のアイデアを反映しています。

来る1988年開催のソウル オリンピックに向けて、オリンピック委員会が主催する美術コンクールに参加するために、1984年、Park は、一時的に韓国に戻りました。2000名以上の参加者の中から優勝者に選ばれ、金メダルが贈られました。オリンピックの後、Parkの作品が、本社に永久展示するために、Hyundai グループによって、買い取られました。


1986年、韓国内のコンクールの全ての入選作品を決定する組織である芸術家協会の会員になりました。

ヨーロッパに戻り、おもにフランスを拠点に、ギリシャやキプロスにも行き来するという生活を続けました。キプロスに滞在中、当時のキプロス大統領から、夫人の肖像画の依頼を受けました。この肖像画を含むParkによる作品6点は、今も大統領官邸にコレクションとして展示されています。また、ギリシャ滞在中に描いたある絵は、舞台が、たまたま、当時のマサチューセッツ知事であり、アメリカの大統領候補であったMichael Dukaki さんの出生地であったため、後に彼によって買い取られました。

ヨーロッパ滞在中、印象主義とハイパーリアリズムの画家としての彼のビジョンをさらに発展させるために研鑽を重ねました。ヨーロッパのいくつかのギャラリーで、確固たる地位を築き、その中の多くのところでは、今もなお彼の絵が展示され続けています。”Euroko"というヨーッロパにおける韓国語雑誌や”European Travel Press" を含む、多様なヨーロッパの新聞、雑誌などのメディアで彼の作品を取り上げ、論評しています。

1994年に渡米して、カルフォルニア南部の海岸に今も住んでいます。アメリカのいくつかの画廊で現在も作品が展示されています。1996年には、ニューヨークのアートエキスポに初参加しました。1998年3月、Parkの作品の独占的な出版者"Soho Editions"が初めての限定版複製画を発表しました。

下のそれぞれのリンクから Sung Sum Park の作品をご覧になって頂くことができます。

http://www.liveinternet.ru/users/linat/post119544296

http://www.liveinternet.ru/users/3506049/post136622448/

http://www.liveinternet.ru/users/stephanya/post149636400/

http://www.liveinternet.ru/journalshowcomments.php?jpostid=148035317&journalid=3162595&go=next&categ=1

http://www.liveinternet.ru/users/3402608/post147881110/

http://www.liveinternet.ru/users/3939603/post136624167/

http://www.liveinternet.ru/users/irina_snezhko/post138030875/









今日の癒しの動画と音楽

画面を拡大してお楽しみ下さい。





今日のwonderful pictures

下のそれぞれのリンクから癒し効果のある画像がご覧になることができます。

http://www.liveinternet.ru/users/3162595/post146137034/

http://www.liveinternet.ru/users/3402608/post146881653/

http://www.liveinternet.ru/users/3162595/post147711650/




















































2011年2月6日日曜日

hot ヨーグルト / 数奇な運命の画家





もうすぐ花粉症の季節

昨年の夏は猛暑に見舞われた影響で、今年は、花粉の飛散が多いと早くから予想されています。20年近く花粉症に苦しんでいる私は、本格的に苦しくなる今月下旬から4月までは、海外に逃げ出すことができればいいなと思うのですが、経済的事情を始めさまざまな事情から、そんなことは、非現実的で不可能です。抗ヒスタミンなどの病院でもらうお薬は、体調が悪くなったりしてどうも私の体質に合いません。できることなら、このアレルギー体質を改善したいものです。
 
 最近しばしば雑誌等で紹介されている”ホット ヨーグルト”を今から試してみようかなと思っています。これは、市販のプレーンヨーグルトを電子レンジで温めて作ります。料理研究家の村上祥子さんによると、これを1日3回食べると、目のかゆみや鼻水が治まり、花粉症にとても効果的だそうです。 アレルギーは1種の免疫の過剰反応ですが、ヨーグルトに含まれる乳酸菌には、免疫反応を正常に保つ働きがあるそうです。温めると、有効成分の吸収がよくなるだけでなく、腸が冷えないため、腸内の乳酸菌の活動が阻害されないそうです。”ホンマかいな”という感じですが、騙されたと思って、しばらく試してみようかなと思います。私は人の言うことに乗せられ易いので......(笑)


ホット ヨーグルトの作り方


材料 (1人分)

         プレーンヨーグルト.......100グラム

         はちみつ.......大さじ1

         水..........大さじ1



1、  耐熱の容器に、ヨーグルト、はちみつ、水を入れる。

2、  軽くかき混ぜ、ラップはせずに、電子レンジで600ワットなら1分、500ワットなら1分10秒加熱する。          

3、  取り出して、なめらかになるまで、混ぜる。......出来上がり



今日の音楽

今日もhotな曲をききましょう。







今日のglobal artist


今日は、数奇な運命を生きる中国出身の画家 Cao Yong  を取り上げます。


Cao Yong  は、1962年、中国の受難の時代に生まれました。 文化大革命の時代、彼の家族は、過去において恵まれた支配階級の家柄であったため、当時の中国当局からマークされ迫害を受けていました。他の同じ年齢の子ども達が幼稚園に通い始める頃には、幼いCao は、働き始めなければなりませんでした。物心がついた5歳の時には、建設現場で、砂利で一杯になった重いバスケットを運ばされていました。そんなある日、岩の穴が崩れ落ちるという事故に遭いました。小さな彼は、もう少しのところで、瓦礫の下敷きになり、圧死するところでしたが、幸運にも助かりました。

 そんな辛い日々の中でも、絵を描いている時は、心の安らぎと慰めを得ることができました。11歳の時に、北京出身の著名なアーティストに付いて絵を習い始めました。画材を買うために、衣服をしばしば質に入れたり、食事を抜いたりしました。彼が闘わなければならなかった対象は、こうした貧困だけではなく、毎日隣人から受ける根強い差別もありました。

 しかしCaoは、並外れた粘り強さで絵を描き続けました。16歳の時、芸術大学への関門である 高い競争率の国家統一入学試験を受けました。5つの省で、最高点を得点したのにもかかわらず、全ての大学が家柄を理由に彼の入学を拒否しました。1年後、再び試験を受け、やっと、江南大学から入学を許可されました。 一つのイデオロギーが独占的に支配している環境の中で彼は常に異端視され、仲間外れにされていました。大学生になっても、なお、彼は絶え間ない迫害に直面しなければなりませんでした。それでも優秀な成績を収め、1983年に、芸術学士の学位を取得しました。

 卒業後、チベット大学で最年少の芸術学の教授として、職を得ました。チベットでの7年間は、隔絶された高地の中で育まれた簡素な美と独自の文化の魅力にどっぷりと浸ることができました。先史時代の洞窟の壁画を調査するため、馬と犬をお供に猟銃だけを所持して、人けのない寂れた山の洞窟の中で、一人で1年近く生活していたこともありました。

 今では伝説となったチベットでの体験は、一連の優れた作品として結果を残しました。これらの作品は、1989年の初頭、北京で開かれた彼の初の個展において展示されました。その展覧会は、初めは成功したかのように思えました。アジア、ヨーロッパ、そして北米の主要な新聞社がこのことを取材し取り上げました。 しかし、この広く知れわたったアートショーは、中国当局を驚かせ警戒させました。作品7点が北京警察によって押収、焼却されると同時に、彼は逮捕されました。しかしながら、彼は何とか脱走することができました。彼の婚約者で、日本人の美術学生のGoda Aya さんと共に、逃亡者として、危険な8か月の旅に出ました。そしてついに、日本大使館の援助で、2人は、日本に逃れることができました。

 この逃走の旅については、Goda Aya さんが、著書、”逃”(=Tao=escape)において綴っています。(1995年、文芸春秋より出版)この作品は、日本で最も名誉ある文学賞の一つである講談社ノンフィクション賞を受賞しました。

 Cao は、絵の仕事を細々とやりながら、墓堀りや遺跡の発掘の仕事をして、日本での生活をスタートさせました。しかし、彼の才能は、すぐに多くの仕事の依頼を呼び込みました。わずか数年の内に巨大な壁画を制作して、日本で最高の壁画制作者として認められました。日本の全国各地の流行の先端をいく商業ビル、一流デパートなどに彼の壁画が装飾されました。 その一方で、チベットを題材にした作品も情熱的に描き続けていました。それまでの彼の主要な傑作が集められ、東京の有名な美術館やギャラリーで展示されました"Cao Yong" のアートは、日本の美術界に衝撃を与え、日本のメディアから、”われわれの時代の天才的芸術家”と褒めたたえられました。

 より困難な挑戦と大きな舞台を求めて、1994年、アメリカに移住しました。アメリカ人の自由な精神と多様でエネルギッシュなアメリカ社会に触発されて、彼の新しい経験や感情を鮮明に反映しながら、最も実りのある豊かな作品が溢れるように多く生み出されました。1999年には、彼のアートを出版する会社、"Cao Yong Editions, Inc" を設立しました。2年と少しが過ぎた頃には、アメリカで最も売れている存命中のアーティストの一人になりました。全米の200近くのギャラリーが "Cao yong" の作品の販売権を持っており、その販売網は、現在、日本、カナダ、そして、ヨーロッパの市場にも広がっています。

 世界中のCao yong の愛好家やファンは、彼の目覚ましい功績と、今もなお人々のうっとりと熱い視線が注がれるような、完璧なアートを創造し続けるこの芸術家に対して、総立ちで、拍手喝采を浴びせています。Cao Yong にとっては、自分の作品を通じて、自身の最も深い内なる感情を他の人々と共有できることが、最高の報酬なのです。

Cao Yong の作品が下のそれぞれのリンクからご覧になれます。

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