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2013年2月16日土曜日

母との突然の別れ

今月の初め、今までの人生で最も悲しい出来事に遭遇しました。 母が3年以上に及ぶ闘病生活の末、2月2日午後9時53分、ついに力が尽きました。84歳でした。本当によく頑張ってくれました。

2009年11月から12月にかけて腸の手術を2回受け、その間、何度もかなり厳しい状況を乗り越え、2010年5月には、敗血症に襲われましたが、これにも打ち勝ち、その3ヶ月後には自力で車椅子を動かせる程回復しました。 毎日の病院食やおやつを楽しみにして、テレビを見て過ごすといった小康状態を保っていましたが、昨年の夏頃からなんとなく元気がなくなりました。11月の半ば過ぎ、尿路感染から再び敗血症に見舞われ、非常に危険な状態に追いやられましたが、再び状態も落ち着き、絶食から食事も再開され、毎日3度の病院食がスムーズに食べられるようになり、回復の兆しが見えてきた矢先のことでした。

入院先の病院は何度か変わりましたが、3年間大阪の高槻市内の自宅から母のいる堺市内の病院まで週2回遠距離介護に通っていました。 残念なことに、亡くなる2週間前は、私がノロウィルスに感染した上に、風邪をひいてしまったりして、全く見舞いに行っていませんでした。その日の夜9時半前に兄から緊急の電話があった時も38度の熱があり、初めは、様子を見ることにしましたが、心配になり、タクシーを呼び、母の入院先の病院に向かうことにしました。その時兄から2回目の電話があり”即、来るように”とかなり緊迫した様子が伝わっていました。それから程なくして来たタクシーに乗り病院に着いた頃にはフラフラになって半分倒れそうでした。 ”こちらのお部屋に移られました”という看護師さんの案内で緊張した面持ちで部屋を入っていくと、広い個室の中で迎えてくれた兄の第一声が ”20分程前に息を引き取ったとこや。” ベッドに寝かされた母に目を向けると顔には、白い布がかぶせられていました。 2週間ぶりの母との再会がこんなに悲しいものになるなんて......人生の厳しい現実を改めて思い知らされました。後で時間を確認すると、実際には、タクシーで家を出たわずか3分後に母は、他界していました。

兄夫婦の話によるとその日の昼食を兄が食べさせてあげるとほぼ全部食べ、午後3時頃に再び訪れると、いつもと変わらず テレビを見て過ごしていましたが、何となく息が荒々しかったとのこと。午後6時半ごろ兄の自宅に病院から”血圧が下がって心配な状態”と連絡があり、駆けつけると、次第に血圧も安定して落ち着き、苦しそうにしている様子もなく眠り始めたので、安心して9時頃一旦帰宅したそうですがそのわずか30分足らずで再び呼び出されたました。この時は、心拍数がどんどん下がり主治医から救命できる見込みはないと告げられ、やがて母の心臓は止まってしまいました。あんなに何度も病院に通ったのに、最期を看取れなかったのが残念で悔しくて.......ただあまり苦しまず安らかに旅立っていったことが、私にとってせめてもの救いでした。(これまでに何度も苦しみを味わっていましたが)

かなり弱ってきてはいましたが、もう少し生きてくれるのではないかと期待していたので、私にとっては、突然の予想外のことでした。今頃嘆いてもどうしようもないのですが、”もっと車椅子に乗せていろいろなところに連れていってあげて楽しませてあげればよかった。”などと後悔が残ります。”もう少し状態が良くなったらこの春こそ咲き乱れる桜の花を間近で見せてやろう。”なんて考えていたのですが、12月、1月の厳しい寒さに頑張って耐えていたのに、春を待たずに逝ってしまったのが本当に可哀想で、悲しいです。今年の桜は私にとって何とも寂しく辛いものになりそうです。それにしても本当にこの3年間よく前向きにがんばってくれました。 ”お母ちゃん、ありがとう。 しばらくゆっくり休んで、この次に生まれ変わる時は、もっと健康に恵まれ、苦労のない幸せな人生を歩んでね。”