先週は、12日の母の日、13日の母の死後100日、15日の母の誕生日があり、約3ヶ月と2週間前の母の突然の死からまだ悲しみが癒えない私の感情を感傷的に刺激するも事が続いていました。
今年の母の日は、死後初めて迎える最もブルーな母の日でしたが、母の遺影の横にカーネーションの花を供えました。そして、もし生きていたら5月15日に85歳の誕生日を迎えるところでした。当たり前といえば至極当たり前なことですが、世界で唯、一人の母を亡くした今となっては、もうしてあげられることは何もないという当たり前の現実が再び寂しさと悲しみの感情を増幅します。実家から持ってきた数枚の在りし日の母の写真を眺めながらそんな気持ちを慰めました。近年の老いてからの写真を見ると、今も生きていてどこかにいるような気がして、思わず ”今、どこにいてんの?”などといろいろ話かけてしまいます。死後もなお、癒しと慰めを与えてくれる”母親”の存在の大きさを再認識しました。