このコーナーでは、現在、グローバルな活躍をしているアーティストをご紹介します。 今日は、韓国美術界が生んだスパースター、Sung Sam Park を取り上げます。 Sung Sam Parkは、1949年に韓国のソウルで生まれ、12歳で、絵を描き始めました。彼の絵の才能と指導能力は、13歳にして早くも知られるようになりました。中学生にして、地元の高校で絵を教えていた程でした。
早い時期から、有名なアーティストや、国のトップたちから注目を集め、Byun Si Jin という、ある大学の当時の学長が、彼の個人的な絵の教師であり相談相手でした。 当時の大統領、Yoon boo Sun 氏から直々に、何度もMok Woo アートソサエティの全国コンクール優勝者として、表彰されました。Parkは、コンクールの参加者の中で、いつも最年少であったのですが。
1973年、Jung Ang 大学(中央大学校)を卒業後、フランスに旅に出ました。パリで、ほかの若いアーティストと一緒に暮らして、絵の勉強に励みました。彼の今日の作風は、明らかにフランスの印象派の画家達のアイデアを反映しています。
Cao Yong は、1962年、中国の受難の時代に生まれました。 文化大革命の時代、彼の家族は、過去において恵まれた支配階級の家柄であったため、当時の中国当局からマークされ迫害を受けていました。他の同じ年齢の子ども達が幼稚園に通い始める頃には、幼いCao は、働き始めなければなりませんでした。物心がついた5歳の時には、建設現場で、砂利で一杯になった重いバスケットを運ばされていました。そんなある日、岩の穴が崩れ落ちるという事故に遭いました。小さな彼は、もう少しのところで、瓦礫の下敷きになり、圧死するところでしたが、幸運にも助かりました。
今では伝説となったチベットでの体験は、一連の優れた作品として結果を残しました。これらの作品は、1989年の初頭、北京で開かれた彼の初の個展において展示されました。その展覧会は、初めは成功したかのように思えました。アジア、ヨーロッパ、そして北米の主要な新聞社がこのことを取材し取り上げました。 しかし、この広く知れわたったアートショーは、中国当局を驚かせ警戒させました。作品7点が北京警察によって押収、焼却されると同時に、彼は逮捕されました。しかしながら、彼は何とか脱走することができました。彼の婚約者で、日本人の美術学生のGoda Aya さんと共に、逃亡者として、危険な8か月の旅に出ました。そしてついに、日本大使館の援助で、2人は、日本に逃れることができました。
この逃走の旅については、Goda Aya さんが、著書、”逃”(=Tao=escape)において綴っています。(1995年、文芸春秋より出版)この作品は、日本で最も名誉ある文学賞の一つである講談社ノンフィクション賞を受賞しました。
Cao は、絵の仕事を細々とやりながら、墓堀りや遺跡の発掘の仕事をして、日本での生活をスタートさせました。しかし、彼の才能は、すぐに多くの仕事の依頼を呼び込みました。わずか数年の内に巨大な壁画を制作して、日本で最高の壁画制作者として認められました。日本の全国各地の流行の先端をいく商業ビル、一流デパートなどに彼の壁画が装飾されました。 その一方で、チベットを題材にした作品も情熱的に描き続けていました。それまでの彼の主要な傑作が集められ、東京の有名な美術館やギャラリーで展示されました。"Cao Yong" のアートは、日本の美術界に衝撃を与え、日本のメディアから、”われわれの時代の天才的芸術家”と褒めたたえられました。