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2012年10月2日火曜日

ウィルタ、ニヴフ-アイヌだけではなかった日本の少数先住民族

領土などの問題を巡って、隣国の国々と摩擦が生じ、緊張関係が高まっている中で、そもそも日本人とは何か、民族とは何だろう?と、素朴な疑問に駆られます。もともとこの日本列島には、日本民族という共通の言語、文化、生活習慣、宗教を持った大集団など存在しなかったはずです。少なくとも2000年位昔に遡ると、数多くの異なった言語、文化、生活習慣を持った集団 (村、国)が存在して、それらが争いを繰り返していたと思われます。その後、争いを勝ち抜いた強力な集団のもとにまとめられ、日本という一つの国(ヤマト、初期は、現在の九州から関東地方辺りの範囲?)に統一されていったのでしょう。 

 日本とロシアにまたがる北方先住民族の”アイヌ”は、幕末の1854年、ロシアとの和親条約によって北海道が日本領となり、近代化の明治時代に入って、北海道の開拓を推し進めた政府によって、独自の風習が禁じられ、日本語教育を含めた同化政策を強制されるまでは、北海道、千島、樺太の地で、民族独自の言語、文化、宗教を育んでいました。 アイヌの隣人として樺太の地で暮らしていた北方先住民族、”ウィルタ”と、”ニヴフ”も日露戦争の勝利の後、 日本語教育などによる日本人への同化を強いられました。


ウィルタwiki 


ニヴフwiki



" ウィルタ”も”ニヴフ”も主に狩猟、漁猟によって生活を営み、それぞれが独自の言語、文化を所有していた民族でした。 日露戦争後の条約によって、日本が樺太(現在のサハリン)の南半分の領有権を取得したのに伴い、ウィルタとニヴフを含む樺太の少数民族を特定の地域に強制的に住まわせ、日本語指導などの同化教育を受けさせました。にもかかわらず、彼らには、日本国籍を与えなかったと言われています。このような人々の中には、 太平洋戦争において、スパイとしてソ連(当時のロシア)に送り込まれた人々が多数いたと言われています。敗戦後は、戦犯としてシベリアに抑留され強制労働など苛酷な状況に置かれました。抑留解除後は、勝戦国ソ連による樺太全土の占領に伴い、彼らの故郷から追放され、北海道に強制移住させられました。 日本政府は、このことに対して、日本国籍を持たないことを理由に一切の戦後補償、賠償を拒否しました。

現在、北海道内に住むウィルタとニヴフの人々は、それぞれ数十人程度 と言われていますが正確には不明です。(ロシアでは、ウィルタ300人、ニヴフ2000人程度)



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