先日、テレビのお正月の特番で、100年前の東京に住むある若い夫婦の日常生活をドラマ風に再現した(したつもり)ものを見ました。その中で特に興味を引いたのは、街頭に立って、自作の歌を披露していた演歌師といわれた人でした。そのドラマに登場した演歌師の名前は忘れましたが、実在した歌手だと思います。貧困や生活苦など当時の庶民が抱えるフラストレーションを歌っているので、その歌に共感を持って聞き入る多くの人々に取り囲まれていました。 これが日本の流行歌、大衆歌謡、j-popの原点ではないかなと思ったりしました。
演歌というと独特のこぶしをきかせ、日本人特有の情念や抒情を込めて歌う大人の歌というイメージが強いですが、オリジナルは何と ”演説歌”だったそうです。明治時代に政治を批判、風刺する目的で生まれたプロテストソングで、演説に関する取り締まりが厳しくなった19世紀末に、演説の代わりに歌を歌うようになったのが、演歌の始まりだとか。 明治時代、自由民権運動の活動家が、自分達の演説、メッセージを歌に託して民衆に伝えた街頭活動が演歌とその歌い手である演歌師の発祥だそうです。最初は、路上ライブのように声を張り上げて歌っていましたが、やがてヴァイオリンで弾き語りをしたり、歌詞カードを売ったりして、徐々に音楽的に洗練されたものも出てきたようです。
歌詞の主な内容が権力への風刺ゆえに、演歌師への弾圧が厳しくなるに従い、次第に歌詞の内容だけでなく音楽的にも抒情的なものに変化していきました。日本の伝統音楽である小唄、都都逸、民謡などを習合したものに西洋音楽をミックスして音楽的に多様になりました。歌の内容も男女の関係や人情の機微を哀愁を帯びた短調の曲想で歌うといったスタイルが定着するようになり、こうした流行歌に対して、戦後、政府は歌謡曲という言葉を作りました。こうして本来の演歌師の歌からは、遠くなっていきました。
落語、漫画、川柳、演歌.......近代化前後から昭和初期の日本の大衆文化、ポップカルチャーの中には、現代よりも貧しく、自由を制限された時代に生きていたのにもかかわらず、社会を風刺を通して、権力を笑い飛ばす庶民パワーが充満していたと窺えるものが沢山あるかもしれないと思います。
亡き父が日ごろ口ずさんでいた歌の中に”ノンキ節” というユニークな歌がありました。 ”大正時代の演歌師によって歌われていた” とだけ説明してもらった記憶があります。
この歌の歌詞と作者については、こちら (これらの歌が書かれたのは今から100年近く前のことですので、差別的な表現などあるかも知れませんがご了承ください。)