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2014年5月31日土曜日

Bad finger ~Beatlesの陰の悲劇のバンド (1)

ポール マッカートニーが先ごろの来日直後に思わぬ病に倒れて心配しましたが、無事に回復してよかったですね。 それにしても70歳を過ぎても世界中を回ってライヴ活動をしているなんて素晴らしく驚きですね。私が洋楽に親しむきっかけを与えてくれたのもビートルズでした。Beatlesとの最初の出会いは小学校に入学して間もない頃でした。あの伝説の武道館の来日公演を家族と共にテレビで見ました。あんまりよく覚えていませんが、物凄いカルチャーショックを受けました。外見も音楽もそれまで自分の馴染んでいるものとは全く違うもので全然理解できませんでした。なぜそんなに熱狂的な人気があり騒がれているのか不思議でした。でもその5年後ラジオで聞いた初期の曲に完全にノックアウトされました。

丁度その頃、洋楽の世界に興味を持ち始めた頃、悲しいことにBeatlesは解散して既に伝説のバンド になり始めていました。その代り、Beatlesが設立したアップルレコードが ”ビートルズの弟バンド”という宣伝文句で売り出していた"バッド フィンガー”というバンドがヒット曲を出し人気上昇中でした。




"No matter what"(邦題 嵐の恋)は、その頃ラジオで割と頻繁に流れていて洋楽を聴き始めた頃のお気に入りの曲の一つでした。この年(1971年)の夏、元BeatlesのGeorge Harrisonの呼びかけで開催されたバングラデシュの難民のためのチャリティーコンサートにエリック クラプトンなどの大物アーティストと共に参加しました。 その翌年、George Harrison がproduceした”Day after day"が大ヒット、同じ頃、彼らのオリジナル曲 "Without you"をニルソンがカヴァーした曲が世界中で大ヒットしました。(ちなみにこの曲はハート、エアサプライ、マライアキャリーなど多くのアーティストにカヴァーされ不朽の名曲とまで言われている。)その頃がこのバンドの人気の頂点で、ほんの数年後の悲劇は誰にも想像できませんでした。

"bad finger"の前身のバンド”Iveys"は、Pete Hamが中心となり1965年に結成されました。翌年、地元のウエールズからロンドンに拠点を移し演奏活動していたところ、ビートルズのスタッフの目に留まり、1968年には、ついにBeatlesのメンバーにも気に入られアップルレコードと契約を結び”Maybe tomorrow"という曲でデビューしました。



下積み時代を経て,憧れのBeatlesの秘蔵っ子バンドとしてデビューしたラッキーなシンデレラボーイズでしたが、デビュー曲”Maybe tomorrow"はそれ程売れず、同名の1stアルバムもアップルレコードから良い評価をもらえず、日本、ドイツ、イタリアの3か国のみで発売され、イギリス本国では発売されませんでした。その後、”Iveys"から”bad finger"とバンド名を変え、再スタートしました。
  1969年、ポール マッカートニーから贈られた曲、"Com and get it"( リンゴ スターが主演の映画 ”マジック クリスチャン” のテーマ曲 )が大ヒットして、"Bad finger"名義の初めてのアルバム"Magic christian music"をリリースして知名度が上がり、人気が出始めました。









1970年、日本では大阪万博で沸いていた頃、セカンドアルバム"No dice"を発表しました。当アルバムには、彼らのオリジナル曲では初めての大ヒット曲で、90年代に入り元祖パワーポップと再評価された ”No matter what" と後に多くのアーティストにカヴァーされることとなった名曲”without you"が収録されています。当時の多くの音楽雑誌などで高い評価を得ましたが、残念なことに、アップルの財政難などの事情により、シングルカットは一曲のみでした。



                                






1971年から72年にかけての時期は、"Bad finger"にとって成功の頂点でした。1971年8月、George Harrison, Eric Clapton, Bob Dylanなどの大物達のアシスタントとして、ニューヨークのマディソンスクエアガーデンで行われたバングラデシュのチャリティーコンサートに参加しました。GeorgeのソロアルバムやJohn Lennonのソロアルバム”イマジン”などのレコーディングにコーラスや演奏で参加し、Beatlesからも寵愛され、彼らは束の間の成功の喜びを噛みしめていました。1971年、代表作であるサードアルバム ”Straight up"を発表(日本では翌年発売)、彼らの最高のヒットソングとなった"Day after day"と"Baby blue"がシングルカットされました。筆者は、小学校を卒業する少し前、母親のおねだりして"Day after day"のシングル盤を買ってもらった事を昨日の事の様に懐かしく思い出します。










多くのBeatlesファンが、この頃のBad fingerを、解散してしまったBeatlesの代用品として見ていた様な気がします。Beatles的な事をやると、Beatlesの亜流といわれ、かといって、Beatlesのイメージから逸脱したこともできない........今、思うと、そこにこのバンドの方向性を模索する上での難しい問題があったのではと思います。 彼らがはかない成功の夢を実現させた1970年代の初頭の本国、イギリスでは、David Bowie, T Rex などの耽美的で先鋭的なグラムロックが台頭して来てBad fingerのような地味なバンドには、逆風に曝される時代になりつつありました。