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2014年12月15日月曜日

国が密かに抱える陰陽師集団 学校では教わらない日本の秘密?

今日は衆議院議員選挙ですが政治に疎いダメ子さんの私は誰に投票するかでいつも迷ってしまいます。言わずもがなですが、日本は、国民に政治参加の権利を憲法で保障している立派な民主主義国家です。(少なくとも表向きには) ですが天皇はじめ皇室の方々は、政治参加の権利もなく、戸籍さえ存在しません。日本国憲法第一条に、天皇が”象徴”の地位にあり、また今後もその地位にあり続けるかどうかは国民の総意に基づいて決定されると記されているそうですが、”象徴”という抽象的な言葉でお茶を濁されている様な印象を持たざるを得ないことは否めません。天皇、皇后そして他の皇室の方々は様々な公務で実に多忙な日々をすごされていることは多くの国民が承知しています。しかし歴代の天皇が遥かな古代より粛々と執り行ってきた神道祭祀が今上天皇においても天皇としての最重要任務であることは国民に公に知らされていません。日本神道の最高神官が古代より天皇ということになっていて、殆どの日本人はそんなことに興味がありません。政治的な権力こそ持ちませんが、世界的には、ローマ法王、エリザベス女王と並ぶトップ3の権威のある人物ということになっていて、オバマ大統領など各国首脳も非常に恭しく接しているそうですが、天皇に宗教的な法王としての性質があることを理解しているからかもしれません。

天皇の仕事は公務関係など公開される部分、祭祀関係など公開されない部分を合わせて非常にハードな物であることは容易に想像できます。祭祀など宗教的な儀式は、他に用事があるとか体調が悪いといった人間の都合でさぼれません。しかし現実には、外国訪問などがあり、天皇一人が完全に執り行うことは不可能です。そんな天皇の祭祀儀礼を裏から支える集団が古代から現在に至るまで連綿と秘密結社として存在するそうです。その集団は”八咫烏 (やたがらす)”と呼ばれていて、平安時代に実在した陰陽師 ”安倍清明”もその集団に属していたとも言われています。古代から現代に至るまでこの国の最高機密のひとつなので、一昔前ならこんなところに公開できるものではなかったようです。(笑) 八咫烏は日本神話の中で神武天皇の東征の際、熊野国から大和の橿原まで道案内をした三本足のカラスで、導きの神とか太陽の化身として信仰されているそうですが、かの秘密組織の名もこれに由来していると思います。

秘密結社 ”八咫烏”は、国体の保持と天皇を守ることを使命に、古代から連綿と続けられてきた神道儀式、陰陽道、宮中祭祀を裏で執り行い、構成委員は、一生、表に出る事なく陰に隠れて、生涯をその使命に捧げるという。 もちろん彼らに関する資料もデータも全く公表されていませんが、直接、組織の代表者に取材した人の話などがネット上に多数流出していたり、最近では、組織自らが作成したウェブサイトも公開されていて、誰でもその存在を知ることができるようになりました。
総勢70人前後と推測されており、この中の指導層24人を24烏、その中の幹部層12人を12烏、さらにトップ3の3人を金鵄と呼んでいるそうです。(三羽烏という言葉は、ここに由来するらしい。)そして、何と指導層の24人は、戸籍もなく、氏名も持たない人々なのです。彼らは子どもが生まれても届け出はせず、幼少の時から神道儀式全般、陰陽道、迦波羅を徹底的に仕込み、使命を果たす一員に育て上げるといわれています。この組織関係者の生活費など必要経費は国家予算から支払われています。戸籍も氏名もない奇妙な公務員ですね。(皇室も同じかな。)

 この3名の金鵄の地位にある人物は別名、裏天皇と呼ばれていて、決して表の舞台に立つ事はありませんが、この国の政治、経済など多方面において絶大な影響力をもっているとか、はたまた、裏から日本のみならず世界を操っているなど、興味をそそられる噂や憶測がネット上に多数見受けられます。迦波羅というと”カバラ”というユダヤ教の神秘思想を思い起こさせますが、それが起源ではないでしょうか。カバラとか陰陽道というと単なる神道儀式だけではなく、予言、占術、呪術などオカルト的な秘密結社という印象を与えてしまいます。彼らが出した神託には総理大臣といえども逆らえないのかも.......難しい政策決定には、国が保護しているこのスピチュアル系秘密組織の陰の援助に頼るのでしょうか? 21世紀の現代でも、裏では3世紀の卑弥呼の時代と変わらぬ呪術、祈祷を重んずるオカルト国家の性質を密かに残していたのですね。日本列島に人々が住み着いた時から、地震、津波、台風、水害、火山噴火と多くの自然災害に日本人は苦しめられてきたので、こうしたオカルトシステムも必然から生まれたのでしょうか。 彼らは私達の平和と安全のために密かに祈り続けて下さっているそうです。








2014年11月17日月曜日

浦島太郎の昔話は実体験だったのか?

去年、アメリカ国家安全保障局の個人情報収集の手口を外国のメディアに暴露して、現在アメリカ当局からスパイ容疑で刑事追訴されている元CIA職員エドワード スノーデンさんが、奇想天外な仰天情報を”インターネット クロニクル”というニュースサイトにリークしたとしてネット上で話題になった。”地球のマントルの中に人類よりも知能の高い種族が存在している。” という”地底人”に関する機密文章の存在とその内容を暴露したという。日本を含む世界中の殆どの主要メディアはこれを一切無視している。常識的な人間は、こんな昔のSF物語のようなことを真に受けることはない。多くの人は彼が自身の身の安全のためにわざとトンデモ情報を流して、狂人を演じているのではないかと解釈した。しかし一部のオカルトファンの間ではとてもロマンのある話だとして騒然となった。 スノーデンさんによれば、”その知的生命体は、我々とは全く違った温度帯で生きていると思われるが、加速度的に知性を繁栄させ進化を遂げた。 大統領は地底人の活動に関するブリーフィングを日々受けている。アナリストの意見では地底人からすれば、人類は所詮 ”アリ” に過ぎないので、彼らが我々とコミュニケーションを取ろうとすることも、仲間意識を持つこともない。ただ、もし戦闘状態が生じれば、我々よりも数万年進んだ技術を持った彼らを相手に生き残れる可能性はない。”ということだ。

http://oka-jp.seesaa.net/article/368787005.html


昔から架空の話や伝説の中で地底世界 のことが様々に語られ人々の想像力とロマンを掻き立ててきた。 チベット密教の教義によるとヒマラヤの奥地に地底王国 ”シャンバラ”という名の楽園があるという。シャンバラには悟りを開いた仏陀が多数いて、住民は地上の世俗から離れ、幸福な生活を送り、文字通りの理想郷を実現しているといわれている。西洋では、北欧神話の中で語り継がれてきた地下世界”アースガルド”に結び付けられ、この地底王国の楽園を”アガルタ”と呼んでいた。


アメリカの作家WG. エマーソンが1908年に 、95歳の元漁師から聞いた、奇妙な地下帝国の旅行体験談をもとにした小説を発表した。 1829年、ノルウェーの漁師、オラフ ヤンセンが父と共に、北の極地にあるという伝説上の理想郷を目指して航海に出たが、北極圏に到達すると凄まじい暴風雨に巻き込まれてしまった。その後気がつくと、巨大な舟が出現して4メートル近い巨人に救助され、地底世界に迷い込んでいた。 この地底世界の住人達は彼ら親子に親切で、様々な所を案内してくれたという。地上よりも豊かな生活と進んだ文明を享受していた地底人はとても長生きで、平均寿命は、800歳に達していたという。親子は、2年間、地球内部の世界を楽しんだが元の世界に帰る決心をして、地底人の案内に従い南極海に出ることに成功するが、帰路で遭難してしまう。この時父を亡くし、土産にもらった多くの金塊も沈没させてしまった。オラフ ヤンセンは、奇跡的に捕鯨船によって救出されたが、誰も彼の話を信じず、狂人扱いされてしまった。 昔から北極海近辺ではヤンセン親子と同様の体験をしたという船乗りが少なくないといわれているそうである。

他にも、地底世界に迷い込んだのではないかと噂されている有名な話がある。1947年2月、アメリカ海軍のリチャード E バード少将は、北極調査のため、北極上空を飛ぶ飛行機の操縦をしていた。 その時、天候が急変した。視界が霧に遮られ、飛行機の高度計が下がり続け、墜落の危険の中でSOSを発信しようとした瞬間、信じられない光景が眼下に広がっていたという。 うっそうと樹木が生い茂るジャングルが広がり、マンモスそっくりの動物や、巨大な穴から超スピードで飛翔していくUFOの姿や都市のようなものまで目撃したと基地に報告していたそうだ。 また1947年にアメリカ海軍が4700人もの人間を送り込み、”ハイジャンプ作戦”と称した大規模な南極調査を遂行した。この部隊の総指揮官を務めたのがバード少将だったが、飛行機の墜落や消失といったトラブルが続き、バード少将本人までが長時間行方不明になる事件が起こり、早めに切り上げられてしまったという。 作戦終了後、少将は外国の新聞に、”極点を越えて大いなる未知の世界の中心を見た。アメリカは、緊急に防衛措置を講ずる必要がある。新たな戦争が起きればアメリカは、南極から北極まで恐るべきスピードで移動する飛行物体の攻撃を受けることになる。” というコメントを寄せたそうだ。 その後、彼は精神病院に送られ、1957年に死去したといわれている。



バード少将の奇妙な体験は1964年、哲学者、レイモンド W  バナード 博士が発表した本の中で語られていた。 バード少将は地球内部の異世界に迷い込んだというもので、”地球空洞論”という奇想天外な理論に基づいている。その理論によると、地球の内部は空洞で、中心には小さな太陽があり内部の世界をあまねく照らしている。 しかも、表面の世界と内側の世界は、両極に開いた大穴でつながっており、往来可能だという。 しかし、地球科学が発達した今、こんな説を信じる科学者はいない。地球内部の構造を見ることは現在でもできないが、地震波の伝わり方の分析などで、空洞部分など存在しないことがわかっている。 ところが飛鳥昭雄氏の著書によれば、地球内部のプラズマから生じた亜空間(地上の物理法則が通用しない世界)が存在し、そこに地球を一回り小さくしたような天体が浮かんでいる。その天体を米軍は”アルザル”と呼んでいるとか。 ほんまかいな.......そんなこと”アラザルことやんか”と下手なダジャレが思わず飛び出してしまう.............. この亜空間と地球空洞理論に興味があれば、氏の著書を読んでみて下さい。 昔からチベットの地底王国のシャンバラ(アガルタ)伝説は世界の時の権力者を惹きつけてきたようだ。 ドイツのヒトラー、ロシアのスターリン、アメリカのルーズベルトなどが競い合うように、探検隊を送り込むなどして、真剣にこの異世界を探していた時代があったらしい。 チベットのポタラ宮殿の地下とこの異世界の王国が繋がっているという噂があり、中国共産党がチベットの独立を認めず執拗にこだわる背景には、地政学的な物の他にこうした事情があると、飛鳥氏は指摘している。 氏の著作によると、ダライラマ14世は、”シャンバラは空想の世界ではなく実在する世界です。しかしそこに行ける切符はそうたやすく手に入りません。とても高価なものですが、徳を積む行為を通じて実現します。”と公言しているという。




地底人や地底王国の実在は科学的に全く立証されていないが、私のようなオカルトばかにとっては、夢があり興味深い話である。青年が海底の異世界を訪れ戻った時には老人になっていたという昔話を思い出させてくれる。 ”長寿の地底人が地上に出た途端、紫外線などの有害物質の影響で急に老化するのを恐れて、簡単に地上に出てこないのではないか?”と言う人もいる。乙姫様の魔法の玉手箱をうっかり開けてしまった太郎のように.......しかし地底世界なるものが本当に実在するなら、地上の人間が、環境破壊、核などで地底世界の住人に迷惑をかけ続けると、私達を駆除する作戦を選択する恐れが.......浮世離れした戯言に長い間お付き合い頂き、どうもありがとうございました。









2014年7月26日土曜日

頑張れNスペ -stap細胞 不正の深層

明日の日曜日(27日)の午後9時からNHKスペシャルで"stap細胞"の不正問題を取り上げると聞いて楽しみにしていたのですが......ところが2,3日前に、.NHKの突撃取材で小保方氏が負傷を負ったことに対して、代理人の弁護士からNHKが抗議を受け謝罪したというニュースを知り、この一件で番組が他の物に差し替えられるのではないかと心配しましたが、予定通り放送されるとのことでほっとひと安心しました。 ただ、NHKが小保方氏側の訴えるという脅しに怯えて、内容を歪めてピント外れな物に落としていないか気になります。 こんな時に暴走したNHKの記者にもいら立ちますが、”右腕が痛くて実験に支障がでる”なんて声明を弁護士に発表させた小保方さんは、やくざまがいの言いがかりをつけて、またまた責任逃れをしようとしているように思えてなりません。次は怪我の後遺症で.......と来るのですかね。

未だに、日本のインテリ層に最も読まれているという伝統あるメジャー新聞が、この問題に関して少しトンチンカンな記事をだしていて落胆させられます。stap細胞が存在する可能性を示して無責任な幻想を抱かせ続けようとしています。まだ完全に解明されていませんが、最近の理研CDBと若山さんの解析から新たに得られた結果は、不正が予想よりもより複雑で悪質なものであることを示唆しているのです。この新聞によって全く逆な方向に書きかえられていて、その都度、代理人の弁護士は、無実が晴らされていくかの様なコメントを発表しています。 ちなみに最近この新聞社は ”天声人語書き写しノート”なるものを販売しています。この新聞の朝刊一面のコラム”天声人語”の文章を書き写して、時事力、文章力、読解力、語彙力、集中力を身に付けさせるのが狙いだとかという商品、思考力が付き頭が良くなるという宣伝文句も見かけました。戦時中の教育勅語の奉読みたいで気持ちわるーい.......自社の社員の文章をお手本にして万人に模写させる.......どこかの隣国で一番の権力者を自国民に将軍様と崇めさせているのを笑える?  傍からみれば滑稽ではないかな。

理研が行っている"stap細胞"の検証実験の中間報告が迫っているようです。どのような報告がなされるのか判りませんが、国民は今までの様に騙されないように注視しなければなりません。 そのためにもNHKの番組に頑張ってもらいたいです。期待しています。どこまで不正の本質に迫れるのでしょうか。今もなお、逃げ回っている、事件の黒幕と噂される人物にまで及ぶことができるでしょうか?












2014年6月16日月曜日

Badfinger-Beatlesの陰の悲劇のバンド(3) 

ワーナーブラザーズからの2作目のアルバム ”wish you were here"は、彼らの円熟した音楽的魅力が詰め込まれた傑作アルバムだったのですが、レコード会社とのトラブルにより、あまり日の目を見ることなく店頭から消え去りました。ワーナーとの契約でアルバム制作のノルマが課せられていたこともあり、前作の発売後まもなく、次作アルバム"Head first"を短期間で完成させましたが、レコード会社に発売を拒絶されました。 マネージャーがアルバム制作費としての支度金を横領した疑いがもたれたため、ワーナーは、"Badfinger"に関する商品の販売、発売を一切中止して、マネージャーとバンドに対して、訴訟を起こしました。1975年初頭には彼らのレコードは店頭から全て姿を消しました。

マネージャーは行方をくらまし、それぞれのメンバーは収入が完全に途絶え、ガソリンスタンドでアルバイトをしたり、友人宅で居候の身となったりで路頭に迷うことになりました。中でもリーダー格のPete Hamは最後までマネージャーを信頼していたので、彼の裏切りに対するショックと怒りで激しく動揺しました。更に、恋人と生まれてくる子どものために購入した新居のローンの返済のことも追い打ちをかけました。 絶望の中、酔った勢いで、自宅のガレージで自らの手で生涯を閉じるという最悪の選択をしてしまいました。1975年4月24日、27歳でした。一か月後には恋人が女の子を出産し"Petera"と名付けました。



この事件をもってバンドは一旦、解散となりましたが、Peteの悲劇的な死から3年後の1978年にTom EvansとJoey Mollandが中心となり再結成されました。1979年にアルバム"airwaves"、1981年に"Say no more"をリリースしましたが、その後、TomとJoeyは不仲になり別々に活動し始めました。それぞれのバンドが"Badfinger"と名乗り、同じ名前のバンドが2つ存在するというややこしい事になりました。1983年の秋頃、二人の対立は名曲"Without you"の印税をめぐって激化しました。それに加えて他のトラブルも抱え込んでいたTomは、精神的に不安定となり、2番目の悲劇の人となりました。1983年11月19日、自宅の裏庭で自ら命を絶ちました。36歳、妻と息子が遺されました。








90年代に入り廃盤となっていたオリジナルアルバムが次々とCD化されて再発売されるまでは、普通のレコード店で彼らのレコードはほとんど見かけることはありませんでした。90年代の初頭に、アップルとワーナーの作品が次々とCD化され、"Badfinger"の音楽が再び市場に帰ってきました。95年には、アップル時代の懐かしい曲を集めたベストアルバムも発売されました。97年には、75年に亡くなったPete Hamのソロアルバム"7Park avenue"がリリースされて,CDショップで見つけた時は驚きました。Peteの10代の頃の下積み時代から晩年までの自宅でのデモ録音の作品を集めたアルバムで、言葉で言い表せない胸に迫るものがありました。99年には、第2弾ソロアルバム"Golders Green"が発売されました。













1990年代に入り廃盤となっていたオリジナルアルバムがLPレコードからコンパクトディスクとして次々と復刻され、ベストアルバムもいくつか発売されました。この復活は、リアルタイムで聞いた世代に、長く連絡の途絶えていた旧友との再会のような感動的な懐かしさを与えてくれました。一部の熱心なファンを除き、一般に”B級バンド”、”悲劇のバンド”としか評価されず、洋楽ファン、ロックファンの記憶から永く忘れ去られていましたが、アルバム復刻がきっかけとなり再評価の波が起こり、”パワーポップの元祖”とまで評価されました。それに伴い、新たに多くの若いファンも獲得しました。

2005年10月にオリジナルメンバーのMike Gibbinsが突然死により他界しましたが、唯一健在のオリジナルメンバー"Joey Molland"は現在も自身のバンドを”Badfinger"と名乗り活動しています。Pete, Tom, Joey, Mikeの黄金期の4人のメンバー揃っての復活は今となっては不可能ですが、彼らの親しみやすく瑞々しいポップセンス、哀愁を帯びたメロディーはこれからも永く残ることでしょう。多くのアーティストが彼らの曲をカヴァーしています。

















2014年6月10日火曜日

Bad finger-Beatlesの陰の悲劇のバンド(2)

"No matter what", "day after day", "baby blue"と立て続けにヒット曲を放ち、更にニルソンがカヴァーした彼らのオリジナル曲without you"も世界各国でNo.1ヒットとなり1971年から72年にかけて素晴らしい成功の時期となりました。 しかしこの時期、Beatlesという経済観念の乏しいアーティスト達がオーナーであるアップルレコードの財政状態が悪化の一途を辿り、彼らのもとには印税が殆ど入らない上に、悪徳マネジャーに収入の大半をピン撥ねされていました。バンドのメンバーはこの時期に及んでも苦しい生活を強いられ、下積み時代と同じ借家に住んでいました。





アップルレコードの財政状態に不安を感じていたマネジャーは、ワーナーブラザーズと莫大な金額でレコーディング契約を取り付けることに成功しました。バンドのメンバーに”大金持ちにしてあげるよ”と、ワーナーへの移籍を勧めました。しかしアップル側は、Beatles以外では彼らが一番の売れ筋バンドだったので、この移籍を渋りました。1974年に発表されたアップルでの最後のアルバム"Ass"の発売に際して、いろいろな嫌がらせをしました。ロバが大きな人参に誘惑されて進んで行くイラストがアルバムジャケットに使用され、ワーナーブラザーズとの莫大な契約金で移籍する彼らを露骨に当てつけ皮肉りました。またアルバムタイトルの"Ass"(ロバ)は俗語で尻とか馬鹿とか侮辱的な意味もあるそうです。発売も大幅に延期されプロモーションもされませんでした。私もそんなアルバムが出ていたことは当時全く知りませんでした。







前作の”straight up"から約2年以上のインターバルを経てリリースされたアルバム”Ass"は、セールスが芳しくありませんでした。アップルからリリースされたこのアルバムの他に、1974年には、移籍したワーナーから2枚のアルバムを立て続けに発表しました。ワーナーからの最初のアルバム"Bad finger"(邦題 涙の旅路)もセールスに失敗して、彼らの人気は、衰退の一途を辿っていました。この頃、マネージャーの金銭管理に対する不信感などを巡って、メンバーの対立、摩擦が顕在化して、Pete HamとJoey Mollandの二人は互いに入れ替わるように一時的にバンドを脱退しました。元のメンバーが揃ってレコーディングしたアルバム"Wish you are here"(邦題 素敵な君)がワーナーからの2作目として74年秋にリリースされました。しかし、マネージャーが起こしたレコード会社との金銭トラブルによりマネージャーとバンドが訴えられる事態となり、発売後直ぐに店頭から引き上げられ消されてしまいました。そんな訳でセールス的には最悪でしたが、このバンドの最高傑作と言われる程の出来栄えでした。











次回に続きます。














2014年6月7日土曜日

いつまで幻想を抱かせて騙しつづけるのか

本当にイライラしますね。”スタップ細胞”問題に対する国や理研の対応が本当に国民をバカにしているとしか言い様がありません。 "Nature"誌に掲載された論文も著者全員の同意を得て取り下げられることが決定しました。また、理研の研究員の方が独自に行った遺伝子データの解析結果、更に毎日新聞で暴露された、論文の著者の一人の大学教授が保存していた"stap幹細胞”と呼ばれていた物の第三者機関による遺伝子解析結果から"stap細胞”の存在が大きく疑われる事態に発展しました。 にも拘らず、文部科学省と理研は,この問題を無視して、国民の税金を使って、ネズミを大量に殺して、再現実験を一年がかりで敢行するつもりですから。論文の様々な不正に加えて遺伝子解析の不自然な結果、背後で囁かれるこの騒動の裏でのインサイダー疑惑、もうこれだけで、当局が関係機関などに強制捜査に乗り出してもよさそうなものですが..........多額の税金を使って研究している人たちが起こした問題なのです。小保方さんは今でも脊髄損傷などの難病患者さん達の会に講師として招かれているらしいですが、いつまで病に苦しむ人々に幻想を抱かせて欺き続けるのですか? 浮上しているいくつもの疑義を徹底的に調査して、なぜこんな事が起こったのかを解明する事が再現実験よりも先決問題だと思います。、場合によっては文部科学大臣、野依さんをはじめとする理研の幹部にも責任を取ってもらいたいものです。

ネット上から仕入れた情報ですが、著者の一人の大学教授(元理研研究員)が”stap幹細胞”の遺伝子の解析結果についての記者会見を計画していましたが、先日、理研に呼び出され会見の計画を潰されたそうです。そして、なんと第三者機関で解析済みの”stap幹細胞”を理研で再度解析し直すと言われたようです。 ネット上で論文の疑義を指摘した人物、論文の遺伝子データの解析結果を明るみにした理研の研究員そして記者会見を計画していた大学教授などのもとには、多数の脅迫メールで脅かされているとか。(どの様なところが発信先か知りませんが。) この国の権力者、権力機関は、都合の悪い物を隠蔽するという点では北朝鮮や中国に劣らないかもしれません。マスコミもだめです。毎日新聞と意外ですがNHKはこの問題に関して頑張っています。(朝日新聞は原発問題などでは頑張っていますが、この問題に関しては産経以下のボンクラでした。)








2014年5月31日土曜日

Bad finger ~Beatlesの陰の悲劇のバンド (1)

ポール マッカートニーが先ごろの来日直後に思わぬ病に倒れて心配しましたが、無事に回復してよかったですね。 それにしても70歳を過ぎても世界中を回ってライヴ活動をしているなんて素晴らしく驚きですね。私が洋楽に親しむきっかけを与えてくれたのもビートルズでした。Beatlesとの最初の出会いは小学校に入学して間もない頃でした。あの伝説の武道館の来日公演を家族と共にテレビで見ました。あんまりよく覚えていませんが、物凄いカルチャーショックを受けました。外見も音楽もそれまで自分の馴染んでいるものとは全く違うもので全然理解できませんでした。なぜそんなに熱狂的な人気があり騒がれているのか不思議でした。でもその5年後ラジオで聞いた初期の曲に完全にノックアウトされました。

丁度その頃、洋楽の世界に興味を持ち始めた頃、悲しいことにBeatlesは解散して既に伝説のバンド になり始めていました。その代り、Beatlesが設立したアップルレコードが ”ビートルズの弟バンド”という宣伝文句で売り出していた"バッド フィンガー”というバンドがヒット曲を出し人気上昇中でした。




"No matter what"(邦題 嵐の恋)は、その頃ラジオで割と頻繁に流れていて洋楽を聴き始めた頃のお気に入りの曲の一つでした。この年(1971年)の夏、元BeatlesのGeorge Harrisonの呼びかけで開催されたバングラデシュの難民のためのチャリティーコンサートにエリック クラプトンなどの大物アーティストと共に参加しました。 その翌年、George Harrison がproduceした”Day after day"が大ヒット、同じ頃、彼らのオリジナル曲 "Without you"をニルソンがカヴァーした曲が世界中で大ヒットしました。(ちなみにこの曲はハート、エアサプライ、マライアキャリーなど多くのアーティストにカヴァーされ不朽の名曲とまで言われている。)その頃がこのバンドの人気の頂点で、ほんの数年後の悲劇は誰にも想像できませんでした。

"bad finger"の前身のバンド”Iveys"は、Pete Hamが中心となり1965年に結成されました。翌年、地元のウエールズからロンドンに拠点を移し演奏活動していたところ、ビートルズのスタッフの目に留まり、1968年には、ついにBeatlesのメンバーにも気に入られアップルレコードと契約を結び”Maybe tomorrow"という曲でデビューしました。



下積み時代を経て,憧れのBeatlesの秘蔵っ子バンドとしてデビューしたラッキーなシンデレラボーイズでしたが、デビュー曲”Maybe tomorrow"はそれ程売れず、同名の1stアルバムもアップルレコードから良い評価をもらえず、日本、ドイツ、イタリアの3か国のみで発売され、イギリス本国では発売されませんでした。その後、”Iveys"から”bad finger"とバンド名を変え、再スタートしました。
  1969年、ポール マッカートニーから贈られた曲、"Com and get it"( リンゴ スターが主演の映画 ”マジック クリスチャン” のテーマ曲 )が大ヒットして、"Bad finger"名義の初めてのアルバム"Magic christian music"をリリースして知名度が上がり、人気が出始めました。









1970年、日本では大阪万博で沸いていた頃、セカンドアルバム"No dice"を発表しました。当アルバムには、彼らのオリジナル曲では初めての大ヒット曲で、90年代に入り元祖パワーポップと再評価された ”No matter what" と後に多くのアーティストにカヴァーされることとなった名曲”without you"が収録されています。当時の多くの音楽雑誌などで高い評価を得ましたが、残念なことに、アップルの財政難などの事情により、シングルカットは一曲のみでした。



                                






1971年から72年にかけての時期は、"Bad finger"にとって成功の頂点でした。1971年8月、George Harrison, Eric Clapton, Bob Dylanなどの大物達のアシスタントとして、ニューヨークのマディソンスクエアガーデンで行われたバングラデシュのチャリティーコンサートに参加しました。GeorgeのソロアルバムやJohn Lennonのソロアルバム”イマジン”などのレコーディングにコーラスや演奏で参加し、Beatlesからも寵愛され、彼らは束の間の成功の喜びを噛みしめていました。1971年、代表作であるサードアルバム ”Straight up"を発表(日本では翌年発売)、彼らの最高のヒットソングとなった"Day after day"と"Baby blue"がシングルカットされました。筆者は、小学校を卒業する少し前、母親のおねだりして"Day after day"のシングル盤を買ってもらった事を昨日の事の様に懐かしく思い出します。










多くのBeatlesファンが、この頃のBad fingerを、解散してしまったBeatlesの代用品として見ていた様な気がします。Beatles的な事をやると、Beatlesの亜流といわれ、かといって、Beatlesのイメージから逸脱したこともできない........今、思うと、そこにこのバンドの方向性を模索する上での難しい問題があったのではと思います。 彼らがはかない成功の夢を実現させた1970年代の初頭の本国、イギリスでは、David Bowie, T Rex などの耽美的で先鋭的なグラムロックが台頭して来てBad fingerのような地味なバンドには、逆風に曝される時代になりつつありました。
































2014年4月29日火曜日

スタップ騒動ー続き

スタップ細胞騒動の周辺で、最近、次から次へと小保方さん以外の他の研究者の論文に捏造疑惑が持ち上がりました。 理研のスタップ問題の調査委員長が、インターネット上で自身の過去の論文の画像に対して疑義を指摘されたのを受けて辞任したのに続き、今度は、ips細胞の発見者が、インターネット上で、過去の論文のデータに対して疑義が指摘されたのを受け記者会見した。それぞれに生データがある、あるいは、複数の研究者により再現されていると、小保方さんよりは、説得力のある弁明をされました。

といっても私達の様な科学の世界に無縁な者にとっては、生データとか再現性 なんて馴染みのない言葉だし、スタップ細胞の問題も、上記の先生方の指摘された疑義もどちらも、単に論文上の問題ということになります。スタップ細胞の論文上のデータの改ざんも結果が正しいかどうかまだわからないから不正認定なんて時期尚早じゃないかという多くの疑問の声が世間から寄せられることになりそうです。 取りあえず論文上の不正のみを追及して、問題の核心の部分を切り離してうやむやに済ませようといった理研の姿勢が厄介な問題を引き起こしていると思います。理研としては、小保方研究員を単独不正認定して解雇したいところなのでしょうが、調査委員長を務めた研究員が論文の疑義を指摘されても理研の研究員として解雇されないのに ”どうして小保方さんだけが”という世間の反発をどうかわすのでしょう? 身から出た錆、自業自得、因果応報というやつですかね。(私自身、自分の日頃の行いに自信がないのでこれらは、怖い言葉です。)





またこのスタップ細胞捏造疑惑問題の背後に金銭的な利益問題が潜んでいるという噂があります。 小保方さんは過去に東京女子医科大学の岡野教授との共著でセルシードという会社の製品に関する論文を発表していましたが、スタップ細胞の発表の記者会見後、この会社の株が暴騰し疑惑後は暴落しました。このことから利益を得るために、意図的に不正操作されたのではないかという疑惑が浮上しています。セルシード社とは、岡野教授が、弟子の大和教授が開発した細胞シートを実用化するために設立した、東京女子医科大学発のバイオベンチャー企業です。この細胞シートを開発した大和教授は、小保方さんの博士論文の担当教官であり、スタップ細胞論文の共著者の一人です。岡野教授,,大和教授も共にセルシード社の大株主であり役員です。スタップ騒動のお陰で(?)経営不振だったセルシード社は息を吹きかえしました。そして関係者によるインサイダー取引による不正な利益.........(政治家も絡んでいるという説も......) もしかして、そんなことのために、意図的にスタップ細胞がでっち上げられたのでしょうか? 謎は深まります。

2014年4月20日日曜日

bad company

例のstap細胞の論文問題で、理研という組織と不正認定された小保方晴子さんが真正面から争っているという風に煽っているマスコミも少なくありません。争っている部分は表面の浅いところで、深いところでは、小保方さんは、笹井さんをはじめ理研の幹部と密かに裏取引していると見られています。小保方さん、笹井さん、理研の幹部が一番恐れていることが共通していますから。  ”stap細胞”自体が捏造であった!ということが発覚してしてしまうという最悪の事態を避けるために、表面では争っているようにみせかけて裏ではしっかりつるんでいます。これは先走り過ぎた見方のように思われるかもしれませんが、今ではマスコミも含め多くの人もこのことに感付いていると思います。

このstap細胞の問題で、実験自体に捏造があったのではないかという大きな疑惑を生じさせた事件がありました。 論文撤回を最初に呼びかけた"stap細胞”論文の共著者、若山照彦山梨大学教授が、不信感を抱き、小保方さんから”良いstap細胞ができた”と言って渡され、冷凍 保存していた"stap細胞”であるはずの2株の遺伝子解析をしました。結果は、実験に使われていないはずのマウスのもので、”stap細胞”由来ではなっかったのです。この2株の細胞は、例の論文に使われたものではないとされ、論文に使われたとされている残りの若山さん所有の全ての細胞も詳しく解析すると伝えられていましたが、未だに続報がありません。 先日の小保方さんの記者会見でこの点を質問されると、彼女は、”そんなことは若山先生から聞いていないので知らない。それは論文の問題とは関係ない。”と言って突っぱね、司会者がすぐに他の質問者に切り替えました。

先日、理研の一員として記者会見した笹井さんも小保方さんと一体となって、本来、被害者であるはずの若山さん一人に責任を押し付ける露骨な言動を繰り返しています。残りの細胞の詳しい解析結果を、若山さんは、会見を開いて躊躇なく公表し、自身のいわれのない疑いを晴らしてほしいものです。理研の恐ろしい圧力に追い込まれ、心身共に大変でしょうが、どうか屈してしまわないで下さい。

理研幹部は、保身と組織防衛のために、捏造まみれの”stap細胞”問題をstap細胞”論文”問題にすり替え、”stap細胞”が存在するのではないかという無責任な夢や幻想を与え, ひたすら国民の支持を得て生き延びを図っているようです。 stap細胞が存在しないという可能性はゼロではありませんが、彼らが実験して今年1月に発表したものは、限りなく捏造に近いと思います。 もし、彼らが最も恐れている最悪の事態が生じた時には、若山さんをスケープゴートにして逃げ切るつもりなのでしょうか? だとすれば、何と腐った卑怯な連中なんでしょう.......




2014年4月18日金曜日

お空の上の素敵なギグ?

格安航空会社の”スカイマーク”が5月に導入する新型機のためのキャンペーンの一環として採用された客室乗務員の新制服が波紋を広げているらしい。 半年間の期間限定となっているが、膝上15センチのミニスカート。荷物の上げ下ろし時には、ふとももがあらわになるので、”業務に支障があり、セクハラの観点からも問題だ。” として、CAの労働組合が国に指導を求めたそうである。

5月に導入予定の中型機A330に乗務するCAが着用する新制服は、スカイブルーのワンピースで体の線がはっきりでる。 なので今から”楽しみ、見てみたい、興味がある.......とワクワクしている男性客が少なくないとか。 なぜミニの制服を採用したのかについてスカイマークは、”機内の快適性を知っていただく一環で新しい制服にした。” と、説明しているが、快適性と乗務員のスカートの丈がなぜ結びつくのか? ”着用は、同意したCAだけ”と、強調しているが、同意しなければ、A330に乗務することができず、他の機種に乗ることになるという。

日本航空など他社のCA約千人でつくる 労組 ”客室乗務員連絡会” は、”CAの業務に支障を生じさせる。女性を商品として扱うセクハラの観点からも見過ごせない”と、国土交通省と厚生労働省に指導を求めたという。 太田国交相は、会見で、”適切に保安業務を行う必要がある” としつつ、”これまでの監査では問題は出ていない”と、様子見の構え。田村厚労相は、社の考えを確認するため報告を求める考えだという。

”新制服は当社CAには好評で、保安業務に支障は出ていない。 当社のお客様にセクハラをするような方はいない。と、考えている。” と、スカイマークは述べ、予定通り5月から正式に導入するという。 しかし他の航空会社の客室乗務員から、”スカートに気が散り、ミスしてしまいそう。緊急時に動きにくそう” ”お客様にいやらしい気持ちはなくても視線が気になる。品のない安っぽい仕事に見られそう” などと、同情や保安業務に対する不安の声が挙がっているそうである。

男性にとっては、空の上の素晴らしいイベントかもしれないが、いくら経営難に陥っているからといっても、女性社員を商品化した低俗なサービスは、一部を除いて、一般層にイメージダウウン を招きかねないのではと.........



邦題は、”虚空のスッタプ”ならぬ”虚空のスキャット”(笑)  vocal担当の歌手(誰か忘れた)は、
”人の誕生から死までを声だけで表現してほしい” というPink Floydのリクエストに見事に応えています 。こころを動かされる一曲だと思います。

2014年4月12日土曜日

”論文が汚されていました” と、”最終報告”

先日、ついに小保方晴子さんが疑惑後、初めて、記者会見に登場なさいました。想像していたより若く見え、とても可憐で可愛らしい方でした。質問の時間も充分にあり、それぞれの質問にも丁寧に答えられていましたが、 彼女の説明に納得いかなかった方は少なくないと思います。 理研の捏造、不正認定を覆すために、自分の口から弁明したいと宣言していたのに、肝心の論文の問題の部分の説明を素人の弁護士に丸投げして、その専門家であるご本人は、横で頷いて聞いておられるだけでした。記者の質問も3,4人の例外を除き、問題の核心に迫るものは出ませんでしたが、鋭く突っ込んだ質問には、あいまいにお茶を濁し逃げられたという印象でした。一部のおじさん方には、”可愛いい”とアピールしたかもしれませんが、オバサンにとっては、ちょっと誤魔化されたような印象を持ちました。(笑)  ”200回もstap細胞の作製に成功している”と、返答されましたが、その証拠を示すデータやサンプルなども示されませんでしたので、少し違和感の感じる科学者の記者会見でした。

私の頭の中は粗雑にできているので(笑、笑)論文上の 捏造、改ざん、貼り付けといった不正(専門家にとっては重要な問題なのでしょうが)には、あまり興味がありません。実験での捏造、不正によって導かれた偽りの結果が示されていないかと少し疑っています。

小保方さんと理研の両方に胡散臭さを感じていますが、理研に対して3点程疑問に感じていることがあります。一つ目は, 実験での捏造、不正が認定されていない段階で(このことに関して理研が再現実験に1年かけて検証するといっているが)調査の最終報告をまとめ、論文上だけの問題で小保方さんに対して、研究不正があったと認定して処分を検討している点、、二つ目,  小保方さんのSTAP細胞の論文に用いられたSTAP幹細胞から、その細胞の多能性を証明するために人工的に作られたというキメラマウスなど、STAP細胞の存在を示す有力なサンプルが現在も理研に残されているそうです。最新の機器を用いて、遺伝子分析すれば2週間という短期間で、それらがSTAP細胞”由来なのかどうか、つまり本当にSTAP細胞から作られたのかという問題の核心部分を、簡単に鑑定することが可能なのだそうですが、、現在のところ、理研はこの調査を ”STAP現象があるかないかの観点から無意味” として頑なに拒否しています。3つ目は、実験で、捏造、不正があったか否かを検証する再現実験のリーダーが、その論文の共著者で実験を小保方さんと共に行った当事者であること。 ”stap細胞現象”というものに懐疑的な第三者が担当する方が信頼を得られるのではないでしょうか。

小保方さんを”研究不正”と認定するからには、論文の画像捏造よりも、小保方さんの行った実験に捏造、不正がなっかったか、またれによって偽りの結果が導かれていなかったかをしっかり検証、調査して最終報告として公表することが大事だと思います。そのために理研がまずやらなければならないことは、残されたサンプルの遺伝子解析をしてそれが本当に、”stap細胞”由来のものなのかを明かにすることです。(このことは多くの専門家が指摘しています。)それをやらずに再現実験だけを行って、仮に一年後に、 ”stap現象の存在を確認しました”という発表を聞かされてとしても、また、胡散臭さを感じることでしょう。 この実験に関して、理研はstap細胞作製のために外部からのアイデアも求めていますが、仮にそれでstap細胞なるものが作られたとしても、その実験が、小保方さん達の行った実験が捏造だったか否かを判定するものになるのですか? 不正がなされていなかったか否かを検証しなければならない再現実験を、国民の税金を使って、理研の名誉回復あるいは、存在しないことを証明するのは不可能といって逃げ切るための実験にすりかえているような気がするのですが.......

もし論文だけでなく”stap細胞”そのものまで捏造だったとして、それが国民に知れ渡ると........その怒りの矛先は一斉に理研という組織に向けられるでしょう。 自分達の保身のために四苦八苦しているような気がしてなりません。

今後の再現実験でもし、stap細胞なるものが作成され、それが万が一、それを待ち望んでいる人々に光と幸福を与える物に発展するのなら素晴らしいことです。 けれども、まずその前にするべきこと(封印してしまったものを解析して公表する。)をするべきだと思います。  今年の一月末、この”夢の万能細胞”発見のニュースを知った時、去年他界した母のことを思わざるを得ませんでした。 四半世紀にわたって脊髄の神経を犯される難病と苦闘した挙句、度重なる重篤な病に力尽きました。 こんな夢のような物がもっと早く発明され実用化していたら...........涙を流し身の潔白を訴えた小保方さんに世間の同情が集まっているそうですが、stap細胞の発見という知らせに希望を持ち、そしてこの騒動によって失望させられた病気と闘っている人達こそ同情されるべきでしょう。


2014年4月2日水曜日

あるのかないのかわからない

理研の調査委員会が昨日ようやく ”stap細胞”の論文の捏造を認定しました。そしてその不正は筆頭著者の小保方さん単独で行われたと最終結論を出しました。このstap細胞の研究と論文は理研の他の著名な研究者と共同でなされましたが、他の研究者も小保方さん同様、雲隠れしているようです。私達外部の者は、こんな燻った状況から組織ぐるみの不正を疑わざるをえないのですが.......関係者以外、誰にもわからないですね。

但し、調査委員会は あくまで論文の捏造および不正を認定したに過ぎず、”stap細胞”の存在については任務の範囲外としました。この実在を検証する再現実験を理研内部で1年間かけて行うとか。存在するのか否か判らない不確かな物の実在を検証するのに国家予算と時間と労力が費やされるなら、UFOやエイリアン、地底人、心霊などの実在が疑われる物の検証もしてほしいものです。(笑) この1年で何か凄い魔法でも見せてくれるのでしょうか。(ちなみにこの研究の詳細を記録しているはずの実験ノートが3年間で2冊しか存在しないそうです。) ひょっとしたら、我々は何も知らないだけで、これは、何やら怪しげな物に公金が注ぎ込まれている氷山の一角の一例かも知れへんな.......???





2014年3月27日木曜日

彼女はサイエンス? (she blinded me with science)

最近の”stap細胞”騒動には本当にイライラさせられます。私は、”stap細胞”だとか”stap幹細胞”とはどんなものなのかよく理解していませんが、このことに関して多数の疑義が生じているにもかかわらず、小保方氏は、依然としてその革命的な万能細胞の発見を主張しており、また彼女を支えている理研という組織も捏造を認めようとしていません。その新型の万能細胞の成功が本物なら、なぜ、小保方氏や彼女の上司でその論文の共著者の人物が表に出てその正当性を主張しないのですか? 革新的な発見を世界中の科学者に向けて証明、主張する論文の中で、発見を証明する根幹となる画像がなんと小保方氏の3年前の博士論文で使われていた画像の使い回しで、しかもそれはstap細胞とは全く関係のないものでした。この一つだけを取ってみても、科学オンチでアタマの悪い私にでも、限りなく捏造に近いことは直感的に解ります。



理研はこの問題についてまだ調査中ですが、のらりくらり時間かせぎ をして、その間に、私達大衆の関心を他へ向けるなどして薄れさせ、やがてうやむやにして忘れさせようという企みなのでしょうか。それとも、更にとんでもない仕掛けで私たちの目を欺こうとしているのかも.......


この研究に対して多額の国家予算が割り当てられようとしているのです。公金詐取の疑いなどで マスコミには厳しく理研を追及してほしいものです。またしても税金がとんでもなく無駄遣いされているかも知れないのに、いまだに ”長い目で見守ってあげましょう”といった意見があるのは理解できません。今朝のA新聞の関連の記事の生ぬるい論調には少しイラつきました。


 東日本大震災によって引き起こされた原発事故の際、地震発生当日にメルトダウンしていたのにもかかわらず、2か月間もの間、国民には全く知らされず、東電と政府はこの事実を隠蔽していたのです。

再び、ヒットラーのある名言(?)を思い出しました。    ” 大衆は小さな嘘には敏感だが、大きな嘘には鈍感である。”








2014年1月11日土曜日

元祖、シンガーソングライターかパンクロッカーか?

先日、テレビのお正月の特番で、100年前の東京に住むある若い夫婦の日常生活をドラマ風に再現した(したつもり)ものを見ました。その中で特に興味を引いたのは、街頭に立って、自作の歌を披露していた演歌師といわれた人でした。そのドラマに登場した演歌師の名前は忘れましたが、実在した歌手だと思います。貧困や生活苦など当時の庶民が抱えるフラストレーションを歌っているので、その歌に共感を持って聞き入る多くの人々に取り囲まれていました。 これが日本の流行歌、大衆歌謡、j-popの原点ではないかなと思ったりしました。

演歌というと独特のこぶしをきかせ、日本人特有の情念や抒情を込めて歌う大人の歌というイメージが強いですが、オリジナルは何と ”演説歌”だったそうです。明治時代に政治を批判、風刺する目的で生まれたプロテストソングで、演説に関する取り締まりが厳しくなった19世紀末に、演説の代わりに歌を歌うようになったのが、演歌の始まりだとか。 明治時代、自由民権運動の活動家が、自分達の演説、メッセージを歌に託して民衆に伝えた街頭活動が演歌とその歌い手である演歌師の発祥だそうです。最初は、路上ライブのように声を張り上げて歌っていましたが、やがてヴァイオリンで弾き語りをしたり、歌詞カードを売ったりして、徐々に音楽的に洗練されたものも出てきたようです。

歌詞の主な内容が権力への風刺ゆえに、演歌師への弾圧が厳しくなるに従い、次第に歌詞の内容だけでなく音楽的にも抒情的なものに変化していきました。日本の伝統音楽である小唄、都都逸、民謡などを習合したものに西洋音楽をミックスして音楽的に多様になりました。歌の内容も男女の関係や人情の機微を哀愁を帯びた短調の曲想で歌うといったスタイルが定着するようになり、こうした流行歌に対して、戦後、政府は歌謡曲という言葉を作りました。こうして本来の演歌師の歌からは、遠くなっていきました。

落語、漫画、川柳、演歌.......近代化前後から昭和初期の日本の大衆文化、ポップカルチャーの中には、現代よりも貧しく、自由を制限された時代に生きていたのにもかかわらず、社会を風刺を通して、権力を笑い飛ばす庶民パワーが充満していたと窺えるものが沢山あるかもしれないと思います。

亡き父が日ごろ口ずさんでいた歌の中に”ノンキ節” というユニークな歌がありました。 ”大正時代の演歌師によって歌われていた” とだけ説明してもらった記憶があります。

この歌の歌詞と作者については、こちら  (これらの歌が書かれたのは今から100年近く前のことですので、差別的な表現などあるかも知れませんがご了承ください。)